2012年05月13日

子供の頃の記憶

実家に帰省して、物置から子供の頃の絵日記を発見しました。

__enikki_e007.jpg
≪ 8歳の頃の日記 ≫

まぁ帰省と言っても 新宿区 から 町田市 への移動なので大した距離
ではないのですが、thee michelle gun elephantのアルバムを 1枚
聴いたら到着してしまうのですが。とりあえずまぁ発見したからには
絵日記、読みました。

子供の頃の記憶が比較的残っている方だと思っていて、何歳の記憶
も大体思いだせる自負があったのですが・・・・甘かったです。自分は
こんな文章書いた記憶が無いという内容が多々あって、驚きと新鮮な
出来事に夢中で読み進めました。

__enikki_e004.jpg
≪ 8歳の頃の日記 ≫

きょう ぼくは、とこやにいきました。かみがつめたくなりました。

不思議な文章だけどこの絵は描いた記憶があって、ウチから徒歩 3分
のところにあったあの床屋で、待合室にパーマンが置いてあったあの
床屋で髪を切って髪が短くなったから寒い、と言いたかったのかな?

__enikki_e000.jpg
≪ 8歳の頃の日記 ≫

これは着ているトレーナーも貼ってあるポスターも記憶に残っていて、
顔が今と変わっていないのがとても面白い。成瀬駅の近くのユニーの
3階にあったスガキヤによく行ったなぁ。本当に懐かしい。この頃から
太り始めて 3年後には体重がうなぎ昇りでした(笑)

__enikki_e003.jpg
≪ 日記に挟まっていました ≫

これが意外でした。子供の頃、野球を観に行った記憶はたしかに
少しあるのですが、8歳の頃に大洋と阪神の試合を観に行ったの
は記憶していませんでした。宝物がまた一つ増えました。

自分はいつから、どうやって横浜大洋ホエールズファンになったの
だろう。不思議ですよね(笑)

__enikki_e002.jpg
≪ 8歳の頃の日記 ≫

そしてこれ。狸を見たらしいですね。狸を見た記憶は何度もあるの
ですがきっと初めて見た時なのかな?驚き具合がハンパじゃない
ですね。しかも絵つき(笑)

と、出来事も自分の文章力とその個性も驚きの連続で、もっとたく
さん絵日記を書いておけば良かったなぁと思いました。写真を含め
「 思い出 」 が詰まったものは捨てないようにしましょうね。

あの頃の自分は 30歳を超えた自分にどんな期待を持っていたかな。
漠然と「 カッコイイ大人 」 になっていると信じていたかな。それとも、
少し変わった子供だったから、違う理想像を抱いていたのかな。それ
なら今の自分がその期待に応えられているかわからないけど、今言える
ことは、ずっと楽しい人生で、しかもカッコイイ大人になりましたよ。
自信を持って言えます。

__enikki_e009.jpg
≪ さめタソ、王子、中村君 ≫

そんな僕は、今日は実家から直接、横浜スタジアムへ行って、お母んと、
王子( TOKYO SICKS ) と、中村君( Guitar Pop Restaurant 主催 )と、
さめタソ( 某編集長 )と一緒に野球観戦。5回裏に姉夫婦も緊急参戦で
大所帯で観戦しました。その話はまた近いうちに。横浜DeNA勝利!!

そして明日( 13日 )はみんなでサファリパークへ行ってきます。こちら
も近いうちに書きますね。人生楽しまなきゃね!!

__enikki_e006.jpg
≪ スターマン ≫

来月、タイ出張が決まりました。ベトナムは 1ヶ月以上滞在したこと
があるので勝手がわかりますが実はタイは初。誰かオススメとか教え
て下さいお願いします☆ えんどー!!
posted by taca at 01:29| Comment(8) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月20日

『 阪急電車 』 と 別れ話

映画 『 阪急電車 』 と、ケータ君との別れ話。

__00=1.jpg
≪ 紫陽花 ≫

「 もう東京ですることは何も無い 」 と、自慢のバイクも、大事にしていたスネア
もシンバルも、東京での暮らしには必要な家電も、全て売り譲った真っ白な状態
で、今日、ケータ君が熊本県の実家へ引っ越してしまった。師走とはいえ藪入り
ではない。言葉の通り、身一つで去って行った。

こんな小さな粟散辺地、どこへ行こうと大した距離ではない。熊本も片道 1万円
のフライトで行けるじゃないか・・・とはいえ、じゃあ頻繁に行くのかと問われれば
否である。今までのような距離感ではない。遠く遠くへ行ってしまった。

3〜 4年前、彼がピロカルピンでドラムを叩いている時に出会い、会った回数は
少ないながらも、簡単に離れられるほど浅い仲では無くなっていた。今、改めて
そう思う。正直、寂しい気持ちでいっぱいです。

____08o0s.JPG
≪ 時計草 ≫

一昨日、つまり帰省 2日前、ウチにケータ君が挨拶に来た。引越し準備が
大変だから簡単に挨拶して 1時間で帰るよと言っていたので、でもなんだ
かんだ長居すると思い、引き留める気持ちも込めて映画を借りてきた。心
がほっこりする映画が良いなと 『 阪急電車 』 にした。準新作は 50円なの
に新作なので 420円もした。

ケータ君と同じく ミニ四駆部( 発足したばかりだけど )皆勤のりえさんも
来てくれて、夕飯を作ってくれることになったので、三人で一緒に夕飯を
食べながら映画を観た。美味しかったし楽しかったし、映画は予想通り
ほっこりした。映画を観ながら、あーだこーだ話した。そして21時に帰る
予定が、大幅に超過して 23時頃に帰っていった。名残惜しく、でも涙も
見せずに帰って行った。

__kiri412.JPG
≪ 10円玉 ≫

映画 『 阪急電車 』 を観ました。この場を借りて感想を。

原作は言わずと知れた小説 『 阪急電車 / 有川浩 』 。小説版の感想は
以前に書いたので、こちら をご覧下さい。

まず、あの図書館の話が丸々抜けてます。それが非常に残念でしたが、
伏線の張り方や、回想の入れ方など、思っていた以上には良い作品に
仕上がっていました。中谷美紀と芦田愛菜の演技が素晴らしかった。

不満としては、作品を映像化するのだから、情景を詳細に伝えやすい
はずなのに、とても伝わりにくい作品になっていました。言わなくても
わかるでしょう?といった意図があるのでしょうが、原作を読んでいな
い人でもストンと理解出来ないのは允可できません。

あと、僕の好きな役を戸田恵梨香がやっていたこと( 演技派と言わ
れているが、私は演技も顔もあまり好きじゃない・・・ )と、宮本信子
の迫真の演技を映画が活かしきれていないところ・・・が不満でしょう
か。特に後者は、8月に伊丹十三記念館( at 松山 )に行ったくらい
伊丹十三 × 宮本信子が好きな私にも、宮本信子だとわからないくら
い、完璧な萩原時江を演じていました。それだけに惜しかった。

人生の機微に触れるような、こんな経験、一生できないだろうなぁと
思いつつも、身近な題材のせいか、もしかしたら・・・を感じさせてくれ
る、人生を楽しくさせてくれる作品です。原作が良いからでしょう。

「 終着駅は、きっと笑顔。 」 のキャッチコピー通り、とても気持ち良く
観終わることが出来ました。

__seiw3.JPG
≪ 昭和のかほり ≫

今生の別れではない、と思いたい。最後に 3人で写真でも撮れば良かった。
カメラマンのくせに気が利かない自分に腹が立ったが、きっとそれは何かの
フラグ。近いうちに九州へ行って撮ればいいよね。そうしようとさっき心に決め
た。それまでに少しでもドラムを上手くなっておこうと思う。
posted by taca at 23:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

日本を大事にしよう。

tacaさんが喋っているから、tacaさんの理想なり考えなんだ、って重く感じるのではなく、
書かれていることは、自然に知っていて当然のことなんだと思って読んで下さいませ。

____08o0s.JPG

windowsのような代替えの利かないモノは差し置いて・・・

iPod ではなく WALKMAN。iPhone ではなく SHARP製、と出来るだけ日本製のモノを
買って日本の景気を良くしようとしているが、やはり日本人ってあまりそういうところが
賢くなくて、どうしても見栄っぱりで、外国製品及び海外ブランドを選んでしまう人が多い。
みんなが持ってたり主流だと思ってるものをカッコイイと思う独特の風習。というか性格。

日本が外国のモノやアイデアを真似ると怒るのに、外国が日本のソレを真似ても、中国
などの後先国でない限りは、怒るどころか称賛する人が多い。何が嬉しいんだ。日本人
の中で・・・日本の評価はどれだけ低いんだ。

何て言うか、自分が、とある商店街で魚屋を経営しているとして、商店街のみんなは魚屋
で魚を買ってくれるのに、自分は・・・近くで( 同じ商店街の中で )果物とか野菜が売られて
いるのに、少しでも安い遠くのスーパーに行って果物や野菜や家具を買って、少しでも得
をしようとする。『 お金 』や『 便利 』や『 優越感 』という名の得を。

帰りがけに八百屋の前をスーパーの袋を持って歩いている。それが日本人の恥ずかし
いところ。倒産寸前の部品メーカーの社員が電車に乗っている目の前で海外の製品を
使うとか。国によってそういう愛国心というか気遣いが出来る国と出来ない国があるけど、
日本人ってそういうことを考えるにすら至らない残念な人間が本当に多い。

そういう日本人が多い。そういうことを恥ずかしく思う時だけ、『 特定の国のモノをみんなで
買わない! 』 という不買運動を頻繁に行う排他的な国を、羨ましくも思います。愛国心の
象徴ですからね・・・まぁ・・・実際に不買運動が起こる時って、愛国心という健全な建前を
掲げた何かしらの思惑が背景にあるものですが。政治とか経済とかの裏打ちが。まぁその
話はまた今度。どこまで書いて良いのかの判断でギリギリの言い方なので、詳しく聞きた
い人は・・・直接聞くかトークイベント観に来るか(笑)

____08o02s.jpg

まったく、どこが義理人情の国なんでしょうね。

こういうボヤキをメーカー各社はいつもしている。「 なんで日本人は外国製品を買うんだ 」
って愚痴を。社会人という「 社会の一員であり社会に接する機会の多い、つまり大人 」に
なってから、色々な場所で聞いては、本当にそう思います。

食材でも、サービスでも、製品でも・・・海外の果物? 海外の保険? 海外の電化製品??
ブランド品の時計?? 海外製の畳?? 輸入雑貨??

よく「 田舎に住んでみたい 」とか、まずあなたじゃ無理でしょう?と思うことを平気で口に
する人がいて、あぁこの人は考えが浅いなぁって感じることが多々あって・・・そういう共生
とか回帰とか、自然を顧みる前に、もっと見つめ直すべきところがあるだろう日本人?

日本人が好き。僕は日本人が好きです。

嘘です。人生で傷つくことや、辛いことがあった時に、それを与えてきたのは日本人です。
みんな周りにいるのは日本人です。良い思い出も悪い思い出も日本人と作ってきました。
じゃあ今の環境は嫌いなのか? いえ、僕は日本が好きです。日本が好きです。女性も
日本人が良いです。

結婚するなら絶対に日本人女性が良いです。そして自分の言葉を持っている人じゃないと
駄目です。一緒にNEWSを見ていて、考える程度が違ったりすると、人間って、家族って、
上手くいかないんじゃないですかね? だから「 人が人と仲良くなる 」ためにはけっこう妥協
って言葉があって、それが上手い人ならいいけど、下手な人は、相手に妥協出来ないので
相手はその彼、もしくは
彼女の( 本人が満足する )レベルに合うよう努力しないとアカンと思います。

___08_09s.JPG

って頻繁にこんなことばかり書いていて、私を特異な人間なのかな、と思う人がいるかも
しれないですが、これを特異と思う人が、ちょっとオカシイのだと思います。

近所は大切に。地域は大切に。みんなもっと日本を大切にしようよ。

「 日本の商品には魅力が無い 」 とか偉そうに語る人間って、すぐに言葉が続かなくなるの
に偉そうに語ります。そういう人ってあまり自分に魅力が無くて、頑張って魅力のある製品
を周りに身に着けたいんだな、としか思いません。

まぁ日本人って嫌らしいイメージがあるし、右を見ても左を見てもわけわからない人が多い
けど、遠くの外国人より、近くの日本人、だと思うんですよ。

ってことで今年のホワイトデーのお返しも、全て国内の会社からのみ買いました。暴力団
・宗教絡みの少ない、ロッテの系列ではない、国内に工場を持つ国内のメーカーからのみ
買いました。モロゾフとか、資生堂パーラー、六本木CLOVER、などなど・・・。

まぁ( 例えば )レオニダスが好きな人の家に遊びに行く、ならレオニダスを買って行くとか
はもちろんですが、ホワイトデーみたいなイベントにおいては、出来る限り国産の物を選ぶ。
それって、( 私の中では )当り前です。

まぁ友人には、「 モロゾフは神戸の会社なんだから、景気の面を加味しても、関東の会社
のモノを買うべきだ 」と言われかねませんが、私は逆に考えているので良しです。

___08_0s71.jpg

学生じゃない人間で、社員 or 派遣社員として雇われて給料をもらっている人が、イコール
社会人なのではなく、そういった社会全体を見て、社会に貢献できる人が、そういうことを
考えられるのが、社会人だと思います。

就職活動でこういうこだわりを率直に口に出来る学生がいたら、間違いなく採用かと思い
ます。くだらない就職活動の本なんて読んでも何の得になるんだろうか。最低限のマナー
や活動は大事ですがそれは全体の 20%でしかなくて、採用されるかどうかはその人自身
の言葉が60%、容姿が20%です( 残念ながら容姿はけっこう大事なファクターです )。

憂いを自分に向けては駄目なんです。視野を広く持って。問題( 不景気 )は根本( 思想 )
からもっと解決しないとね。日々。それをしているかどうかなんですから。

人生において、革命とかレボリューションとか言葉に出す人は、もっと自分が何をしていて、
だから革命なんだとハッキリ態度に示すべきだし、日本を変えたいって言葉にする人は、
もうちょっと日本という国と日本人という民族を知るべきですね。

ある程度の年齢の人が、「 日本中モスバーガーだらけになれば価格も半分になるし買う
時に罪悪感が無くて良い 」って言うのを、今の若者は馬鹿にしちゃダメです。社会人に
なるとマクドナルドではなく、モスバーガーに行く人が多いのを、単に収入の差と考えている
人には到底わからないかもしれませんね。まぁもちろん味の差もありますけど・・・大人に
なるって色々な知識が増えて、考え方が増えて、行動が変わるのです。

___piro2007.JPG
≪ 懐かしい写真・・・ ≫

まぁ・・・私的には、20歳を過ぎた大の大人が自分の食事をする場とか生活を置く場所を
選ばないとかって、無しだな・・・って思いますが。30歳を超えた大の大人が行く場所か?
ってもっと考えて行動なりして欲しいもの。一瞬の行動で自分の誇りを傷つけないのが
大人かな、って思います。恥をかくことって私は良しとするけど、恥ずかしくないように、
そこはけっこう気をつけてます。意味がわかんねー!って方は私に聞いて下さい。

では。明日はこの世に生を受けて以来、最も忙しい月曜日になりそうです。

POLYSICS 活動再開!!!!!!
posted by taca at 23:58| Comment(16) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

私の日常( 朝〜昼 )

漫画ランキングを更新しました。 : http://catcamera2.seesaa.net/

__M13.JPG
≪ 壁紙が女性の顔だとアレだけど、食べ物でもアレですね・・・ ≫

朝、起きる。
正確に言うと、起き上がる。
目が覚めてもすぐには起き上がれないので・・・。

遮光カーテンなので朝日が部屋に入らない。開ける。
シャッ!っと音が出なかったら閉めて、また開ける。

洗口液( モンダミンなど )で口を洗う。
洗眼液( アイボンなど )で目やにを落とす。
天然水か麦茶など水分補給できるものを300mlほど飲む。
美味しそうに水を飲む人を見ると、自分はどうなんだろうって思う。

風呂に入る( 夏はシャワー )。20〜30分ほどで出る。
入浴中に顔を洗う。入浴後、化粧水をつける。

TVをつけてNEWSを流しっぱにする。
裕二がいると朝からBerryz工房を流しっぱなしにされる。

天然水か麦茶など水分補給できるものを200mlほど飲む。朝500ml。

朝食を作るか考える。作る場合はコーンフレークと牛乳が多い。
Yシャツを着てからスーツに着替える。
家で履いている靴下から外出用の靴下に履き替える。

陽の当たる街って言うけど、この街はどうなんだろうとか無駄なことを考える。

ヨーグルトと冷奴を食べる。これは朝食とは別という考え方。
朝はヨーグルトを食べないと始まらない。
食べ終わってから香水をつける。食後じゃないと味覚が嗅覚に負ける。

家を出ると、朝は午前になる。

__M75.JPG
≪ 壁紙はお花に落ち着きました・・・いいね花。 ≫

玄関のドアを三重にロックして新大久保駅まで歩く。
ヘッドホン+WALKMAN で通勤中は音楽に浸る。

暑い日は「 暑いなぁ 」、寒い日は「 寒いなぁ 」と呟く。
思ったことを率直に口から吐き出す練習というか習慣。

居酒屋「 ろじ 」の前の新緑に目をやる。
春は桜が、秋は紅葉が美しく、けっこう好きな通りだ。
この通り沿いに住めたのは収穫だ。角を曲がれば大久保通り。

朝の新大久保は他人のことを気にかけられない人が多い。
そして普段以上に人という生命体の鼓動も増している。
いつも、この入っていく群れと出ていく群れを見て、群衆という言葉が頭に浮かぶ。

改札1つホーム1つなので駅に着いてすぐに電車に乗れる。
新宿など駅が広くて、駅に着いて電車に乗るまでの行程が長いと萎える。
どの駅でも「 駅なか 」は殆ど使わないが、駅ビルはけっこう好きだ。
店舗とかフロアデザインとか大体の駅ビルがダサイ。プロデュースしたい。

ホームが1つなので右にも左にも山手線がやってくる。いつも逆方向が先に来る気がする。
同時にきたりもする。そんなことを考えてているうちに山手線がやってくる。

電車に乗ってから、携帯電話のメールをチェックする。
浜松町駅までの26〜30分間、返信メールの作成に時間を奪われる。

新宿駅で、同じホームに停車する目の前の総武線から人が乗ってくると、
中野や吉祥寺に住んだらここで乗り換えるんだ便利だ。とありもしない妄想をする。

仮に吉祥寺に住んでも 19 + 25 = 45分くらいだ。
おそらく、吉祥寺から京王井の頭線を利用するより早い。
と思っていたが、吉祥寺からなら中央線で神田乗り換えが最速だ。
何にせよ45分以内で吉祥寺から浜松町まで通える。
とはいえ、山手線沿いに住むメリットの大きさは捨てられない。

目黒に到着すると、宮地バブおを思い出す。彼は生きているのだろうか。

五反田に到着すると、橋口洋平を思い出す。そういえば今日会った。
ピアノを弾いている姿を初めて観た。略礼服姿も初めて観た。

__M888.JPG
≪ あ、花より景色がイイかも! ≫

新大久保〜浜松町へ行く途中の12の駅のうち、新宿駅、原宿駅、田町駅、浜松町駅
の4つのみ、進行方向左側のドアが開くので、この12の駅を電車が駆け抜ける間に、
先頭車両の左側ドア前に移動する。渋谷と五反田と品川は人が波を作る。

山手線は総武線や小田急線に比べたら、汗臭いオッサンが少ない気がする。
通勤ラッシュもさほど酷くはない。それはだから山手線なんだ。

浜松町駅で降りる。8〜9時半はありえないくらい人がいて萎える。
先頭車両に乗っていないと、押し寄せる人の波に混ざる。
王蟲の群れの気分。ナウシカはいない。いたらきっと目立つ。

浜松町駅から会社まで徒歩1〜2分程度。信号が最近増えて嬉しい。
隣にポケモンセンターがある。昼には子供がわんさか。

11Fに停まるエレベーターは16機あるのに、
10Fに停まるエレベーターは 8機しかない。
そして、26機も停まる 2Fのエレベーターフロアはいつも大混雑。
誰が見ても驚くほどだが、警備員が整列させるので混乱は無い。
でも、大混雑。エレベーターに乗るのに5分待つこともある。

10Fで停まるエレベーターは4〜11階まで停まる。運が悪ければ各駅停車。
エレベーター内で特別なカードをかざさないと、
ボタンを押しても停まらないフロアがいくつかある。
セキュリティって、強めれば強めるほど、不便になる。

汐留ビル専用ロック扉と、SE部専用ロック扉の二重セキュリティを
社員証でくぐり抜けてオフィスに入る。扉がやたら重くて困る。

ジャケットを脱いで、まずレインボーブリッジを眺める。
晴れた日は絶景。出来るだけ見晴らしの良い席に座る。

ロッカーからPCと書類を出して、自由な席で仕事を始める。
PCにログインするにも社員証がいる。失くすと仕事にならない。

昼は食事をする時間がある日は、いつも同じグループの5人で外で食事をする。

行きつけの炭火焼屋、焼肉屋、日本海庄や、おか田( きじ丼屋 )、らーめん万代、
蟹屋、ふくの鳥、ホルモン屋、ステーキ屋、パスタ屋、カレー、キッチンジローがある。
よく考えるとそのパターンのどれかでいつも済ませている。新規開拓せねば(笑)

昼休みはけっこう適当。12〜13時と決まってはいるが好きな時間に行って
好きな時間に帰ってくる。遠くまで食べに行けば遅くなるし、
仕事が忙しく食べる時間が無いと昼休みは無い。

__M58.JPG
≪ こういう写真もお腹が空きます・・・w ≫

今日、橋口さん家の息子さんに「 もっと寝ろ 」と言われたので今日は早く寝よう。

続く・・・。
posted by taca at 01:04| Comment(7) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

さようなら20代

あけましておめでとう御座います。あけました俺。30歳になりました。


≪ 小田急ペリーズ ≫ *UPしたばかりだから粗いです( 明日には綺麗に見れます )w

私がこの世に生を受けて、30年経っちゃいました・・・早いですね。
もう若くないんだから、と自分に暗示をかけようとしても、全然かかりません。
むしろ、ここ数年はだんだんと若返っている気がします。
それでも年月は経過していくもので、さっき、20代から卒業しました。

一人卒業式のはずが、20代最後に会ったのも、30代最初に会ったのも、
ヤノケン( RiceRiot )でした。ウチで2人で気付けば4時間も飲んでいた・・・(笑)

今夜は残業が大変で・・・久しぶりに「 超疲れた 」 と思えるほど大変で、
もちろん、クロミスノタタノタタも箪笥ボーイも観に行けず、21時頃に帰宅。

で、ヤノケンと飲んでたら、ピンポン!ってチャイムが鳴って、誰も外にいなくて、
ドアにケーキがかかってました。あ、ボク、いつの間にか30歳になってる時間だ!(笑)

気付いたらメールもたくさん届いてて・・・ありがとうございます。

ケーキは名前すら書かれてなかったので誰からかわからんけど、すぐわかった(笑)
粋な計らい、ありがとう御座います!ヤノケンと美味しく頂きました(笑)

_午前0時.JPG
≪ 午前0時に届いたケーキ ≫

むしろこのブログが、30歳になって最初のブログですか・・・でも、抱負なんてありません。
これまで通りにいければ良し。継続。弱らず、老いず、太らず、過ごすつもりです。
って、それじゃああまりにもネガティブなので、ポジティブに・・・何か考えます(笑)

今日まで20代だったのに。この差は激しい。20代と30代って響きが・・・
でも、別にいい。ここ数カ月、じたばたしても仕方ないと思っていたし、
実際にその日が目の前に迫ってきても・・・その日になっても、特に何も感じない。
考えるのは、やはり親に感謝仕切りだな、ってこと。

31年前、私の父親と母親が、子供を作ることを同意していなかったら、
子供を作る経済的余裕がなかったら、二人がそもそも結婚してなかったら、
子供を作るのはまだ先でいいから、もう少し遊びたいとか考えていたら、
私はつまり、ここにはいないわけです。色々なタイミングが重なって、
運命という言葉はとても嫌いなのですが、運命的に生まれてきました。

私は四人兄弟の末っ子なので、両親が三人生んだ時に満足していたら、
“四人目” を生む決心ができなかったら、私は生まれていなかったのです。

末っ子ってきっとみんなこんなことを考えてしまうのでしょうが、兄弟の中で、
一番生まれてこなかった可能性が高いのです。みんなも子供は四人も欲しいと
思っている人って少ないでしょ?四人兄弟って珍しいでしょ??そう思います。
現に、私の下には弟も妹もいないわけです。本当に運が良かった。
本当に、ありがとうなんて言葉では言い尽くせない感謝です。

もうすぐ、生まれて30年も経つ。母には30年、迷惑をかけっぱなしだ。
私もそろそろ・・・なんて考える年齢なんでしょうが、まだまだ考えません。
考え始めたら、急に年をとってしまう気がして。 まだまだ突っ走ります。

「 男は30歳から 」 って都合の良い言葉があるので、まだまだこれからですね!(笑)

これからも、皆さん宜しくお願い申し上げます。

_rice.jpg
≪ ライスの大冒険 ≫

RiceRiot もよろしく!!
posted by taca at 01:14| Comment(19) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

今日のこと昨日のこと大事なこと

最近、ブログに書くことが溜まり過ぎていて・・・書いても書いても書きたいことが増える。
ネタの少ない人生なんてつまらん。だから仕方ない。まとめ書くから長いけどすまん!

あぁ・・・誰か馬渡松子さんのベストアルバム( 08年発売 )持ってたら貸して下さい。

0_15_2.jpg
≪ posthand 松戸さん ≫

昨日は、おやめください( 私の組んでいるコピーバンド )のバンド練習後に撮影をしてから
よっちゃんと松屋で夕食。トマトのカレー大盛りを食べたら思った以上に辛くて、口直しに
牛めし大盛りも食べてから帰宅。昼に裁判事の相談の御礼でもらったコージーコーナーの
エクレア×4 と スイートポテト×5 を食べて就寝。食って寝る、コレは原始時代から変わら
ない幸福ってヤツですね。コレで太る人を幸福肥りと言います。違うかっ!!

0satu01.JPG
≪ おやめくださいのアー写撮影現場 ≫

今日は撮影が3つと、LIVE撮影が1つ。さすがに疲れてヘトヘトで帰宅しました・・・撮影は
3つのうち2つがバンドのアーティスト写真で、1つは朝 8時過ぎの電車で 専修大学へ行き
graveman arbeit を撮影。アンデモのサポートベーシスト pamiちゃんのバンドです。ここ
数年、リクルータとして我が母校専修大学へ行くことがあっても、いつもタクシーだったので
久し振りに心臓破りの坂を登ったら、気温も相俟って、暑かった。汗

0_15_6.jpg
≪ 専修大学( 9号館 ) ≫

もう1つは posthand の撮影。元CURL CORD の松戸さんが加入した新バンド。なので
松戸さん以外は初対面でしたがみんな良い人達でした。きっと演奏もイイはず。きっと(笑)

そして夜は西荻窪でアンデモのLIVE 撮影でした。その話はまた追って書きます…。

0_15_5.JPG
≪ posthand ≫

昨日はバンド練習へ行く途中、衝撃の電話があって、大学( もちろん専修大学 )の後輩
が結婚する!という衝撃というか震撼というか驚愕というか、とにかくキラキラな内容で、
もう呂律が回らない中、おめでとう!と、祝福の言葉の連続だったのですが、式の日程が
1月16日(土)という・・・ある意味、めでたい日でした。って!その日はコピバン企画っ!!

・・・自分の企画の日に、大切な後輩の、結婚式。むしろ、ワシ、リハに出ないでいいすか?
でもリハに出ないで式へ行って、戻ってきて本番で叩くとか・・・ドラムを叩ける心境なんか。
いや、絶対にヤバイくらい感動してて叩けん!だから行かない!でも電話もらって「 来て 」
と言われたら行く。むしろ企画の主催を代わってくれる人を探そう。そうしよう。って!!

あぁ、ワシ、ドラム叩けても、叩きながら泣くわ。ってかリハ本当にどうしよう。
あ、もちろん後輩って、あすかです。 5歳下の後輩に、先を越された!!!

誰かオラの嫁っ子になってけろ!!!

三食も昼寝もつかないけど、きっと幸福になるさーあんださーあんばださー!!

って 3日前に岡田君( 夕暮レトロニカ )に「 今、彼女とベッドの中だからメールは
明日見るねー 嘘だけどー 彼女いないけどー 」 みたいなふざけたメールをしたら、

「 架空の彼女おめでとうございますー 」 とメールをもらって、

あ、オラ、彼女がどうやらいたようです。 架空だけど!! って!!

どうしようもないな、これ。収集つかないから次の話だ。ほら、アレだアレ。

0_15_10.JPG
≪ ウチの大学のマスコットらしい!初めて見ました!いつの間に! ≫

森山直太朗のアーティスト写真が、tacaさんに似てます。と、low side half のまーしー
からメールをもらった。確かに、以前から森山直太朗に似ていると言われていて・・・早速、
チェックしてみた。そして今回も、自分じゃわからない・・・どうでしょう。似ているのでしょうか。

小栗旬、ヒロミ、そして森山直太朗。他に似ていると思う有名人がいたら教えて下さい。

森山直太郎HP
http://www.universal-music.co.jp/moriyama_naotaro/
posted by taca at 22:44| Comment(18) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

況か不況か。

今日は映画「 サマーウォーズ 」 観てきました。期待を裏切らない、かなりイイ映画でした。
本当にオススメするので観に行って下さい。これからメロマランディの LIVE 観てきます(笑)

000iu03.JPG
≪ at 浜松町 ≫

不況が人の心を頑なにし、国がそれを認める。そしてお金で全てを解決しようと図る・・・。

人はモノを買う時に、色々なことを考ている。販売先は信頼がおけるか、偽物じゃないか、
この製品自体の魅力は何か、購入することでどの程度のプレミアムがあるのか、流行か、
今月の生活費に負担になるか、は当り前のように考えることでしょう。

社会人としては・・・この製品を作ったのはどのメーカーか、そのメーカーは弊社と関係が
あるか、そのメーカーには日本人が何人名働いているか、資本は誰か、誰が儲かるのか、
上場しているのか、この製品を購入することで日本経済は潤うのか、とまで考えられたら、
社会人としては合格でしょうか。それを踏まえ、最終的には “自分の欲求” と相談してから
買えばいい。日本では、ただ働いている人のことを社会人とは言わない。社会を形成し、影
響を与えるから社会人である。つまり働いて、お金を遣うところにまで責任が発生する。

中国へ行った時に 「 日本の自動車が世界一、なのに・・・何故日本には日本製以外の車
( BMW等 )があるんだい?( 売れるのか? ) 」 と聞かれて恥ずかしくなったこともある。
カタチが良いという理由で不味いトマトを買う。みたいな回答になるが、オシャレだから・・・・
とでも答えるしかない。彼の人に対しては。

それは先進国においては恥ずべきことでもある。自国に素晴らしいブランドがあったら、
他国のモノを買わないのがどの国でも共通しているから。しかし、誰にも迷惑を掛けてい
ないから良い!とか、自分のお金なんだから好きに遣わせろ!とか、そういうくだらない
主張しか出来ない空っぽの日本人の姿を考えてしまう度に、恥ずかしさが増す。

某国へ行った際にコダックのフィルムが売れていて、フジのフィルムが売れていなくて、
何故コダックのフィルムが売れているんだい?と尋ねたら 「 みんな製品の良し悪しが
同じなら、日本製を買いたがらない 」と言われてとてもショックだった。

じゃあ自分は・・・・と考える。ここ10年、そんなことばかり考えている。

だから出来るだけ日本製品を買うようには心掛けている。コカコーラよりサントリー、
マクドよりもモス、みたいな。小さなことだが、皆が心掛ければすぐに日本経済は立ち
直る。そんな当り前なことすら理解できない人が多い。寂しい。じゃあ外資系で働いて
いる日本人は?とか。そんな高校生みたいな質問しか出来ないのか。寂しい。

例えば、iPhone を買うとしよう。ダイソンの掃除機を買うとしよう。BMW を買うとしよう。
買えば買うほどそのメーカーが帰属している国の経済は潤う。しかしその国が景気が
良くなっても景気が悪くなっても、買った人はそんなことに興味は無いだろう。しかし、
日本は広告や流通や販売に携わった一部の会社にお金は落ちるが、経済は潤わない。
むしろその分だけ日本のメーカーが作ったモノが売れなくなる。

それは回り回って自分に返ってくる。雇用も無くなるし、会社の業績も不振となるし、顧客も
減るだろう。金融業会に務めている方ならわかるでしょうが、日本人の日本を大切にしない
売買が、日本を確実に蝕んでいる。

少なくとも安いモノを買うから海外製〜とか、オシャレだから海外製〜とか、欲求を抑えろ
とは言わない。買うからには理由があって、その製品の個性が、プレミアムが光っている
からだ。ディズニーにはディズニーにしかない魅力があるし、RouterはCISCOが突出して
いるし、Microsoft や Apple に依存しないと生活が不自由になる人が殆どであるという、
現状もある。

しかしそれは一部であり、ある程度の妥協は出来る場合が殆どである。こんなにもたくさん
の外国製品に囲まれて生きているんです。そもそも、そこまでそれが必要なのか、深く考え
ているのだろうか。日本人には中華思想や共産主義とまではいかないが、ある程度の愛国
心があっても良いとは思う。みんなあと数年後に日本を脱出する予定なんでしょうか・・・
そのくらい日本を遠目から見て批判するだけの日本人が多い。

日本人が日本を愛するのは、オリンピックと W杯の時だけなのだろうか。

jyo1.JPG

日本が潤っても、政治に金が回って、また無駄に遣われるだけなら、景気が良くなっても
大して日本は良くならないんじゃないか、という方もいる。経済と政治を勉強するとその気
も芽生えるのは当然だが、それも然りとしか言えない。

海外旅行をして一番勉強になることって、自分の国の愛し方だと思う。

ということで、9月初旬にインドへ行ってきます。

自分の国に誇りを持つ “彼の地” の民に教えを乞う気持ちです。
posted by taca at 19:01| Comment(8) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

久しぶりに、回想・・・。

今日の1曲「 ヒラヒラヒラク秘密の扉 / チャットモンチー 」 ← 最後まで必見♪
http://jp.youtube.com/watch?v=WmMRxjLzCHA&feature=related

ピロ 199.jpg
≪ 美人姉妹 ≫

「 海〜は〜広い〜な〜大きい〜なぁ〜 」 ← 京子
「 は〜だ〜か〜企画〜が〜丸つ〜ぶ〜れ〜 」 ← 幸子
「 ただいま〜・・・お、今日は合唱か? 」 ← お父たん
「 おかえりふが 」
「 もっと遅くまで働くんが 」
「 い、いきなり厳しいコメントだな・・・。 」
「 お父たん〜海に行きたいふが〜 」
「 う〜み〜 」
「 うみ?? もっと大きくなったらな 」
「 そ、そんなこと言って!連れていく気がないふが! 」
「 んがんが。 」
「 いや、ほら、危ないだろ?まだ2歳と1歳だし・・・ 」
「 なんでふが〜? 」
「 んがんが〜? 」
「 波にさらわれるのが目に見えているし・・・・ 」
「 泳いで助けるふが♪ 」
「 元水泳部部長のお父たんの見せ場んが♪ 」
「 浜辺のエンジェルにモテモテふが♪ 」
「 ワイハーでワイキキんが♪ 」
「 いや、波にさらわれたら・・・その様子を撮ってると思う 」
「 む、娘より写真ふが!? 」
「 さったんより写真んが!? 」
「 想像すると、オイシイじゃないか。流されるタラコ 」
「 高波〜 」
「 高波の上に、京たん〜 」
「 高波の上に、可愛い京たん〜 」
「 さったんも可愛い〜 」
「 京たんの方が、もっと可愛い〜 」
「 さったんの次に京たんが可愛い〜 」
「 京たんが一番〜♪ 」
「 さったんも一番〜♪ 」
「 ・・・・ディズニーシーで我慢しないか? 」
「 カリブーッ! 」
「 ヒルトンーッ! 」
「 あ、知ってるんだ( ちょっと複雑・・・ ) 」
「 王様のブランチで見たふが 」
「 夢と魔法の海んが♪ 」

・・・ということで、( タラコを連れて行くかは別として )ディズニーシーへ行ってきます。
アトラクション、レストランなど、オススメあったら教えて下さい♪

コピー 〜 スカーフ 6.jpg

小学生の頃に聴いていた音楽( ピンクレディー、戸川純、ビートルズ、井上陽水、C-C-B、
チェッカーズ、水木一郎 ) は、子守唄のような感覚で、既に心の中に存在していた。

中学生の頃にどんな音楽を聴くかで、その後の人生が変わる。と、誰かが言っていた。
私には当てはまった。そう思う。確かに、あの頃に聴いた音楽は、私に影響を与えた。

私は幸運なことに、姉が3人いる。特に一番上の姉がとても音楽を聴く人だったので、
私も、その影響で音楽にたくさん触れた。音に触れたというよりは、多くの感性に触れた。

UNICORN、smile、奥田民生、すかんち、GREAT3、cornelius、小沢健二、L−R、
blur 、THE YELLOW MONKEY 、広瀬香美、電気グルーヴ、VANILLA、スピッツ、
RAZZ MAT TAZZ 、SPIRAL LIFE 、フィッシュマンズ、PRINCESS PRINCESS、
JUDY AND MARY 、THE HIGHLOWS、Hi-STANDARD、CHARA 、NOFX、Green Day 。

たくさんの音に触れ、音を聴くとか、アーティストを見るとか、楽器に触れるとか、
そういう直接的なものとは違う、ちょっと哲学的な感覚も学んだ。

一番音楽を聴いたのは、1994年だったと思う。もう14年も前のことなのか・・・。

コピー 〜 1@.jpg

高校生〜大学生2年生の頃、よく聴いた音楽。
JUDY AND MARY、POLYSICS 、カジヒデキ、Cocco、沢田研二、Hi-STANDARD、
FLIPPER'S GUITAR、キャンディーズ、BAKU、GO-BANG'S、純☆ブライド、HIROMIX、
スーパーカー、Blanky Jet City 、BLUE HARTS、19、ケツメイシ、ロボショップマニア、
AIR、CASCADE、ロリータ18号 、advantage Lucy 、ザ・カスタネッツ、真心ブラザーズ 、
小島麻由美、ペンギンノイズ、NUMBER GIRL 、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、
oasis 、くるり、 Cymbals 、YUKI、GOMES THE HITMAN アジカン、バンプ・・・

だんだんと音楽とは離れていったが、中国に留学している時も、写真を撮っている時も、
必ず何か、音楽が頭に中に流れていた。だからいつでも戻る。音楽からは離れられない。

音楽と、家族、の記憶が鮮明に残っている。1997年、17歳まで、そんな感じでした。
少しマセガキになっていた。政治や株価や為替に興味がある変な高校生だった。

その頃、心の中で、人生というものを悟った気がした。親の大切さ、先祖の大切さ、
モチベーションのコントロールの仕方、日本人の愚かさ、現代人の道徳感の喪失、
大人の低能力化、何より、時間 の大切さを実感し、とても意識するようになった。

今から振り返っても、当時よりも目新しい知識は、そんなにたくさんは増えていない・・・
そんな気がします。情報量と経験値と友達は大幅に増えているけれど、当時の自分が
考えていた通り、それまでは 「 充電 」、その後〜今までが 「 充実 」 だったと思う。

「 星の王子様 」 に登場するような、 “ 時間を節約する事に必死で、その節約した時間
で何をするかを考えていない大人 ”
には、絶対にならないと、決めたのが1997年。

そこから、自分本位の考えを止めた。人に恥をかかせない。人の信頼を失わない。
いつも、できるだけ笑顔でいる。これが人生の見本である母から学んだ、世の中を
幸福に過ごす方法だと思っている。無駄な時間なんて無い、と、日々考えている。

破天荒な生き方とか、生き急いでいるとか、充実し過ぎの人生とか、言われることが
多いが、私から見たら 「 日本人がのんびりし過ぎているだけ 」と思っている。
これを理解してくれる人は少ない。

私は、緊張はあまりしない。人前で、できるだけ大勢の前で話すことが好きです。
イベントでの説明、公演の依頼も、結婚式のスピーチも、提案の際のプレゼンも、
とても快感である。楽しいと感じるが、もちろん、責任が伴うものはとても慎重に、
丁寧に、誰よりも上手にこなしていると自負している。

しかし、反面、とても照れ屋であると思う。
今、こうやって自分について語ることですら、照れている。
しかし、照れ屋の人が嫌うと言われる赤が好きだったりする。
逆に、黄緑色や、水色は、好んで身につけたり、集めたりしない。

布団カバーを真っ赤だったものを、真っ白くしてから、どうも性格と生活が丸くなった。
別に韻を踏んでいるわけではなく、その2つが変わった。

えがちんが転職する。あやも転職を考えている。
えいじは、今年から建築家としてデビューします。秋には結婚です。
健二が夏までに帰国します。帰国したら連日飲み会の予定です。
先日、さやかが丸ビルでピアノを弾いたらしい。
GO on SAFARI の木下さんが、ワンマンライブをする。
ピロカルピンが、オーディションに出演する。突破すればメジャーだ。
さおっぺが部署異動のために頑張っています。ちかちんは、春から看護婦です。
バンドマンは、日々、頑張っている。イタガキ君もバンドメンバーを探している。
学生のバイトが続々辞めて、どこの店の店長も大変だ。あいも3月4月は繁忙のようだ。
RICA は体内テロと戦っている。なへみも、頑張っている。
みんな、頑張っている。私は最近、何を頑張っているのだろう。ふと、考えてしまう。
一番頑張っていることが、仕事ではない。そのこと自体、あまり問題ではない。それよりも、
頑張っていることが何か、わからないことが問題な気がする。私は今、必死ではない。

アシタカ と サン がどうなったのか、とても気になっている。
そういえばあの映画も、1997年頃だった。

ちなみに、今使っている携帯電話( WX320K )は黄緑色である。
posted by taca at 00:00| Comment(20) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月31日

友人の死3

今日の1曲「 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ / サンボマスター 」
http://jp.youtube.com/watch?v=Tfg31FTFdgA

----.JPG
≪ 安針塚駅工事中 ≫

先週、きよみの新居にお邪魔した時、きよみに「 最近、エミリさん元気? 」 って聞かれ、
不意を突かれて、驚いた。「 え、何で?? 」 って聞いたら、「 最近、6月くらいからタカ
ブログへのコメントが無いから・・・ 」と言う。女って、鋭い生き物だ。そして、正解です。

2007年の初夏。エミリという親友が死にました。尋常じゃないほど・・・凹んでしまった。
そのため、ブログには書きませんでした。本当は、2006年末だった死期。それが、
2007年春になり、初夏まで頑張った。みんなのために、小さい体で、頑張ってくれた。

誰にも気付かれないよう振る舞いつつ、でも、仲の良い友人や、エミリを知っている人には、
ちょっと情けない姿を見せてしまいました。あの数日のみんなの記憶から私を消してほしい。
でも、ありがたかったです。誰かに支えてもらえるってありがたいなって、実感しました。

少し、安心した自分もいた。もう誰かの苦しんでいる姿を見なくてすむという安堵感。
悲しみの比じゃないが、そういう気持ちも生まれてしまうほど、つらい毎日を、エミリ
過ごしていた。闘病生活・・・・この言葉を聞いて想像できるものは、人によってあまりにも
差異がある。格差がある。それは病院へ行かない人には、聞いて理解できるものじゃない。

エミリとの色々な話は、きっと知っている人が何人もいるので割愛しますが、とても・・・
とても身近で、とても優しくて、とても強い、理解者でした。Y や健二に嫉妬されるほどの、
私の理解者だった。欠けてはいけない、一部分だった。それから私は、欠けたまま。

コピー 〜 2007_1020馬掘0092.JPG
≪ 馬掘海岸公園 ≫

今頃になって・・・書いた。今、書けて良かった。時間が悲しみを浄化してくれている。
泣き言も書かなくて済むし、書いた後にブルーになって何も手につかなくなる・・・ことも
ないだろう。今、書いて思い出すことは何も無い。日々、思い出しているから。
忘れないから。 忘れないから。 忘れたくないから。 忘れられないから。

そもそもこのブログを毎日書くようになったのは、エミリが入院中にヒマだから、
暇潰しの一環になればと、書いてきた。生きている私にとって、寝る時間なんて、
大したものじゃない。寝るのは、死人の仕事だから。生きている私にはムダな時間。
誰かを喜ばせることが最優先事項。だから、毎日書くことは苦ではなかった。誰かのために
なることには、時間は惜しまないで生きてきました。

多分、エミリが最後にコメントをくれたのは、今年の6月23日前後かと思います。
箱根旅行の時とか、果てしなく落ち込んでいた時期ですから。6月20〜28日の日記の
コメント欄とか、自分では怖くて見直すこともできないけど、悲しみの7月に突入するまで、
多忙な仕事のおかげで耽る時間も減りました。眠る時間は増えていないけど。

---.JPG
きよみ宅前からの夕焼け ≫

エミリは一人っ子だから、お父さんお母さんが、とても可哀想でした。本当に素敵な
ご両親。私も、とても仲良くしてもらっていて・・・エミリには、この2人と会わせてくれて、
とてもありがとうと言いたい。友人の両親とは思えないくらい、仲が良いと思います。

まだ生きていたら、今のようにたくさんライブを観に行くこともできなかっただろう。
会社帰りに病院へお見舞いへ行ったり、色々と忙しかった。下北沢飲み会は続けたが。
だから、ライブで出会った人や、ライブで仲良くなった人とも出会っていなかったと思う。
そういった意味でも、感謝したい。人が死んだら、悲しむよりも、感謝したい。
私も、感謝されるような人になりたい。お金やモノじゃなく、精神的に。
誰かのためになっていたい。たくさんのみんなのために。だから、余計に、たくさんの
人とも知り合いたい。知り合ったら、知り合いに会わせたい。知り合いは知り合いと
仲良くして欲しい。みんながつながって欲しい。私にできるのは、そのくらいだから。

死んだら、灰になって、空気に混ざって、みんなに吸い込まれて、吐きだされて、
犬の肺にも、猫の肺にも、全ての生物の体に入り込んで、体の一部になって、そこで・・・
生き続けたい。みんな、テストだの、残業だの失恋だの言うけど・・・大したことじゃないよ。

癌という名の腫瘍が、何回、私を悲しませてきたのか、わかりません・・・だから、これ以上、
私を悲しませないで下さい。祈り続けます。これを読んでいるみんな。お願いします。

疲れて、帽子を脱いで、汗を拭いて、太陽を見る。それだけでも満足できる今がある。

友人の死  http://catcamera.seesaa.net/article/18046350.html
友人の死2 http://catcamera.seesaa.net/article/19978785.html

DSC_0721.JPG
うっくん宅からの帰り道の空 ≫

もう1曲「 あぁエキセントリック少年ボウイ / 奥田民生 」
http://jp.youtube.com/watch?v=PAWmXrz2TsM
posted by taca at 23:38| Comment(19) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

母想い2

今年の夏は数年ぶりに、久保ちゃんと国内旅行へ行くことに♪ 日程次第ですが・・・。
( 写真は6年前の旅行で行った奈良。久保ちゃん。この頃からダテメガネw )

Rs[ (3) `  4.jpg

「 母想い 」 の続きです。これを書くってことは、何の伏線か、わかるよね・・・。

親が残してくれた財産って偉大です。
今、自分は一人暮らしをしている。ドア to ドアで、通勤時間30分。比較的近いでしょう。
母親は、それなりの収入はあったにも関わらず、会社の近くに住まず、いつも郊外から
電車か車で通う人生。そうしてしまったのは私たち。子供たち。。一人なら身軽に
会社の近くにでも住めたはず。小さな部屋で気楽な毎日を過ごせたはず。
稼ぐのにも必死にならずに済んだ。しかも、自分でお金を稼いでいるのに、自分のためには
遣わず、子供へ、子供へ、残そうと頑張って身を削った。私たちは、毎日汗を流して
働いている姿を殆ど見ていない。私たちの前では、いつも笑顔だった。
それでも、いつも想像していた。一生懸命に働く姿を。揺らめく光の中に見える・・・
そんな母親に対して、相当の何かをしてきたのだろうか?

父親が基盤を作り、母親が子供に触れ合う。父親は損な役割だが、子供が喜ぶ方が良いと
父親は言うものらしい。ウチはその両方を、母が一人で行った。しかも子供は4人。
とにかく笑顔でいて欲しかった。そんな親の気持ちも中学生になってから、知った。
母はたくさんの思い出を残してくれた。子供の頃から、「 きっとウチは貧しいんだ 」とは
思っても、劣等感を感じるとか、ツライとは思ったことがなかった。自分は世界で何番目かに
幸福な子供だ・・・という実感はあった。もちろん、そんなことも、口にはしない。照れ屋は
昔から変わっていない。誤解を与えることが多いが、わかる人にはわかるから、それでいい。

住む場所も、学ぶ環境も、仕事をする環境も、今の仕事も・・・友人を作れるほど
余裕のある環境を、私の全てを、母から頂いた。生きていて良いという権利も。
もし私に彼女がいて、結婚して夫婦になり、新婚生活の中で、子供をいつ生むか迷う時、
色々なことを考えるだろう。経済的に養っていけるか、“父親”になるという不安、
“子供がいない”というお互いの自由がなくなる・・・といった大きな考えごとから、
妻が出産太りするという懸念や、近所に大きな公園が無いなど・・・小さな考えごとまで。
そういった全てを払拭して、母は私を生んでくれた。しかも4人兄弟の末っ子。
普通の家庭なら4人も産まないだろう。女、女、女・・・だったから産んでもらえた。
姉が兄だったら、私はこの世界に産み落とされてはいない。
この目の前に広がる事象、光景、体、全てを与えてくれたことへの感謝。
私は言葉にしたことがあっただろうか?

感謝の言葉を述べることは簡単だ。でも難しい。それでも時折、言葉にする。声を掛ける。
でも、そうじゃない。親にとって一番嬉しいことは、常に笑顔でいられる楽しい環境で
子供と暮らすことで、全ての親がそれを夢見ている。とても叶いにくい夢だが、失うと、
全てがハタとわかる。そして自分は幼少期の分まで今後、いっそう、精一杯、親孝行したい。
毎年、更に強く、更に深く、そう思っている。「 しなきゃいけない 」 ではなく「 したい 」。
もちろん「 時間があれば・・・ある限り・・・ 」 が文頭に付帯するが、できる範囲でいい。
できない範囲まで頑張れとは、親も望まないだろう。

私は、いつ達観するのだろう。きっと自分が親になっても、まだ高見ではない。きっと、
色々なことを考え、忘れている気がする。同じ土俵に乗れるのは結婚して子供ができてから
・・・それでも、人間として、同じスピードで進む母に追いつくには、まだまだ足りない。
寝ている時間なんて、やはり無い。若い人ほど、自分のスピードが速いと信じているが、
そんなことは無いのです。コツを掴んでいる先人の方が、ずっとずっと、成長が早いもの。
年輩者だからという単純な理由ではなく、それでも、先人の足跡は尊敬に値します。

みんなもさ、親に怒るのはやめようよ。もっと現状に感謝しよう。
それがさ、世界中の人が楽しく暮らすポイントだと思うんだ。

「 母想い 」 : http://catcamera.seesaa.net/article/17551821.html
「 親友の親と彼女 」 : http://catcamera.seesaa.net/article/20834629.html
posted by taca at 00:55| Comment(25) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

死んだら誰が・・・

人生が歌のように流れている時、人は誰でも陽気でいられる。しかし、何一つうまく
いかない時、微笑むことのできる人こそ価値ある人。(ヘイゼル・フェリマン)

Rs[ ` 2007_0311ALno0005.JPG

今日、交差点でふと・・・時間の経つ早さについて考えてしまった。
早い。本当に思う。早い。一つ一つの行動も早くなった気がする。動きは遅くなった
はずなのに。アッと言う間に時が流れている。楽しみにしていたイベントも、
気がつけば先週に終わっていたり、もう来週に迫ってきていたり・・・。

今までできていたことができなくなっている。老化と時間の早さと気持ちで。もちろん
できることも増えているが、根本的なことができなくなると、凹む。いつ自分はこの世から
消えてしまうのか。何かに満足した時?病魔に襲われた時?敵が増え過ぎた時?
酒に酔う車が突撃してきた時?自分の子供に刺されて?日本がICBM保有国の逆鱗に
触れた時?世界が滅びる時に、みんなと一緒に??環境破壊の末の異常気象の連続で
農作物が育たず、餓死してしまうとか?・・・想像がつかない。死ぬ瞬間に何を考えて、
どうやって笑顔を保つのか。できたら、愛する奥さんと子供の顔を見ながら死にたい。
逆に、今、死ぬとどうなるのか・・・今の賃貸している部屋は、誰が処分してくれるのか。
管理会社に誰が連絡してくれるのか。銀行4行、クレジットカード会社7社、郵便局、保険、
ウィルコム契約、定期預金、死亡届・・・様々な連絡、解約等は誰がするのか。私は毎年、
遺書を書き直して、それらの連絡先、埋葬方法、処分方法等は書いているが、その遺書を
誰が発見してくれるのか。そもそも部屋で死んだら、何日後に、誰が発見してくれるのか。
その時、私は腐っているのか・・・。やはり心の中で、親に依存している。
親が全てやってくれるだろうと思う。戸籍課に死亡届を提出し、保険年金課に国民健康
保険の処理や葬祭費の支給申請を行ったり、国民年金の受け取り処理をしてくれたり、
カード会社に、銀行に、葬儀屋に、保険会社に、友人に・・・連絡してくれる。
自分の財産を有効活用してくれる。そう信じている。家族って、本当に大切だなぁ・・・
何ごとを考えていてもそこに到達する。なのに、自分がそれをできるか・・・と言うと、
心許無い。親が死んだ時、シッカリと全ての手続きを済ませることができるのだろうか??
今日も頑張らないといけない。誰かの期待に応え続けないといけない。

全く話が変わるが、昨日、北千住駅でLUMINEの前を通り過ぎた。LUMINEと言えば・・・
ルミ姉。ルミ姉といえば・・・キャラクターは丸山もも子。声はCHARA
CHARAは中学時代からのファンで、その歌声は歌手の中で2番目に癒し効果が
あるのですが・・・この声も好き。普段のCHARAとは、また違う可愛さがある。
そのせいで昨日から、「 フッフッフッ・・・ 」と頭の中でつぶやいてしまう。
だから交差点で時の流れの速さなんて考えてしまうのか。
ちなみに、私の中の1番の癒しヴォイスは、草野正宗です。
posted by taca at 21:52| Comment(15) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

ビタミンF

人間はね、自分が困らない程度で、人に親切がしてみたいものなのだ。(夏目漱石)

2007_0301Vh0023.JPG

今日は結局、ヤマは超えられなかった。越えるではなく、超える。超越したかった。
仕事のヤマはなんとか2つは超えた。もう1つは、ならなかった。
これからイロイロ重なっていくだろう。そうなった背景を考えると胸の奥が苦しい。
3月5日にまた増える。でもその日は朝から学生と懇談。昼出社。時間がない。

昼は麻代と厚生労働省の36階でランチするはずが、急な仕事らしく、キャンセル。
代わりに( いつも一緒にランチする )先輩と、一緒に行った。
ここは見晴らしが素晴らしく、おそらく虎ノ門〜霞ヶ関〜新橋界隈で、一番の景色だと思う。
今日は晴れていたので、大手町、秋葉原まで見えた。最高に心が癒される。
なぜモノの大きさが普通と違うだけで、こんなにも楽しいのか。そんなランチタイム中も、
半ば、うわの空で、宙に舞うはずのない日比谷公園が、36階からとても近く感じた。
注文するメニューは久しぶりに迷った。それは、私の食欲とは関係のない部分で発生していた。
上に書いた漱石の言葉が本当なら、身を削って人を助けている自分は、何者なのだろう。
何故、自分には余裕が無いのだろう。

このブログは、確かに日記だから、自分の行動、食べたもの、飲んだもの、悩み、相談事
などなど・・・書くのが当り前で、今までもそうでしたが、本当はもっと時事ネタを書きたい。
そこが多分、私の本質なのでしょう。同じモノを見て、同じコトを知って、違う目線で、
違う想いに眩む。でも・・・できていない。文章が長くなってしまう。一応、作るのだが・・・
UPしない。時事ネタだから、UPしないでそのままにしておくと、もうUPできなくなってしまう。
生鮮食品と同じ。先週のNEWSなんて、誰も興味を持たない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
昨日、読みはじめたを、今日、読み終わった。私は小説を読むのがとても遅い人
( のんびり読むし、2日連続で読んだりしないので、1冊を1週間はかける )。
そんな私が、2日間で本を読み終わるのは珍しい。そして、明日きっと読み直す。
そのくらい面白い本。教えてくれたシンツ( YUNO )には感謝したい。
本の名前は「 ビタミンF / 重松清 」 という。
父親の気持ちが伝わってくる。本当にオススメします。是非、読んでください。
特に15歳〜45歳の方。男女は問いません。女性の方がイイかも。男性は影響されるから。
本当の名作に思える。「 白夜行 / 東野圭吾 」 を読んだ時以上に、震える。
表現力ではなく、その頭の中に浮かぶ、それぞれの父親の目が、私をドキドキさせる。

私は父親がいない環境で育った。そのせいか、世の父親の気持ちがとてもわかる。
自分が父親代わり・・・なんて大それたことを考えていた。母のお腹から最期に出てきた
子供なのに。それでも唯一の男であったせいか、キテレツな考え方をしていた。
子供の頃からそんな想いだったのだから、自分に波乱万丈な人生なんて向かないだろう。
きっとこのまま。いつまでもタカらしくいるのでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
文頭に書いたとおり、仕事のヤマはなんとか2つは超えた。心の中でホッ・・・とした。
でも、これからその後処理がある。今夜から始まる。否、むしろ今夜から手掛けないと
終わらない。本当は終わっているはずなのに・・・。能力は十分備わっている。
でも今欲しいのは、本当の意味で助けてくれるデキル人か、時間だ。
仕事に追われ、プライベートの悩みも、当分、解決できそうにない。

自分は何のために頑張っているのか。やり遂げても褒められないし、やらなくても怒られない。
お咎めも無い。と言うよりも頑張り過ぎているから、みんなに「 止まれ 」「 休め 」と言われる。
でも実際に止まることは自分の中で許せない。許されない。頑張っている。
何かのために。きっとそれは、お金とか未来の自分じゃなくて、自分の中のモチベーション。
自分にしかできないことを見つけてしまうと、
人って自由には生きられないんだなぁ。


今日の1曲「 歴代ロボットアニメオープニングテーマ集 」
( 鉄人28号、マジンガーZ、ゲッターロボ、グレートマジンガー、勇者ライディーン、など・・・ )
 http://www.youtube.com/watch?v=dIpTC3qcb-U&mode=related&search=
posted by taca at 21:47| Comment(15) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

人の時間

人の時間を軽視する人が多い。
人の痛みのわからない人が多い。
何もそんなに神経質にならなくても・・・と、そんなに遅刻に注意を払わなくても・・・
と、言われる。確かにそう思われるかもしれないが、そんなに容易な話ではない。
軽視できる問題は、みんな頭の中に入っているはずだから。

今まで「参加したい・・・」と言いつつ、いつも来れなかった子が、先週の、
第28回下北沢飲み会に、参加してくれた。
その子は、大病に冒されながら日々生活している。
「参加して、本当に楽しかった』と言ってくれた。とても嬉しかった。
『がぶり!』で話している時に「明後日からまた入院する・・」と聞いた。
私には「頑張って。また会えるよ」と言うくらいしか、できなかった。いつもそうだ。
私の友人は既に13人も死んでいる。同年代では多すぎる数かもしれない。
まあ、参加してくれた子はそこまで死に直面しているわけではない。治る。はず。

今まで下北沢飲み会に参加してくれた人は総勢100人以上だが、その中でも
既に死んでしまった人が2人いる。訃報を知らせないため、みんな気付いていない。

人の痛みは、実際に感じたことがない人にはわからない。
病気になってみないと、時間の大切さはわからないかもしれない。
でも、人はいつかは死んでしまう。遅かれ早かれ。限られた時間は短い。
更に限られているように見える人もたくさんいるが、実際は誰が一番短いか
わからない。私だって明日死ぬかもしれない。みんな時間が限られている。
あと、2ヶ月ほどで死んでしまう友人がいる。
自殺者も年間3万人を越えている。(交通事故死の5倍以上)

毎日を楽しく生きようとしている。みんな。
楽しい人生を設計して歩んでいる。殆どの人が。

遅刻は仕方のないケースはあっても、無理由な自分勝手なものもある。
遅刻は時間泥棒であり、裏切り行為である。
遅刻して、残り少ない人生の時間をムダに浪費するのは・・・失礼どころの話ではない。
しかも遅刻する人に限って、お金には貪欲で、空気が読めなかったりする。
26年間生きてきて、9年間意識して、色々と感じた。

幸運なことに、私の周りに集まってくる人は、信頼できる友人が多い。
この下北沢飲み会に関しても、イイメンバーが集まっている。現在進行形。
これからもたくさんの出会いがあるとイイ。できる限り参加してくれると嬉しい。
イイ人がいたら、誰かが連れてきてくれて、そしてまた輪が広がる。
友人同士が仲良くなっていき、いい意味で人生設計に影響を与えてくれると、
幹事として、本当に嬉しい。一回の参加であっても相互に影響を与えて欲しい。
そう思って、この会を続けることにした。
いつも思う。私は友人に恵まれている。
もちろんブログを読んでくれる人もそう。大切に思っている。
死んでも、死なれても、友人は友人である。

i????j??σ0002.JPG ジー・・・

なんだか温かくも重い話になってしまったが、これから京都へ旅立ちます!
ブログは・・・20日までおやすみ。それではでは!!

重くて長いコメントお待ちしております♪
posted by taca at 19:46| Comment(20) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

伊豆の想い出

「重い想い話」
母想い    http://catcamera.seesaa.net/article/17551821.html
友人の死  http://catcamera.seesaa.net/article/18046350.html
友人の死2 http://catcamera.seesaa.net/article/19978785.html
公害と人害 http://catcamera.seesaa.net/article/19979203.html
友人の親と彼女 http://catcamera.seesaa.net/article/20834629.html

理由があって、理由がある。本気と書いて、マジと読む。
真剣と書いて、マジと読む。だから地球はホスピタル。
天然パーマって、中間地点だよね。 空と陸の中間地点。 だからボヨヨン。
ちなみに、地震雷火事親父の親父は、親父風・・・つまり台風のことです。

i????j??????3.JPG

子供の頃、100円前後のお菓子についていた、小さな戦車が好きだった。
もちろん色彩済みではない。そこが良かった。
今のような細かな色彩済みの玩具では、想像力が働かない。
メインのはずの菓子はいつもコーンスナックかラムネ。もしくは味の薄いガム。
今では食玩と言う名前で呼ばれ分類分けされているが、
当時は「オマケ付き=廉価もの」といった印象があり、
“安い菓子”といった呼び名であった。私はそんな“安い菓子”が大好きだった。
過去形なのは、オマケ以外に魅力がなかったから。
今はレオニダスもROYCEもハーゲンダッツも知ってしまっている。
(ちなみに、GODIVAはあまり好きではないw)
戦車はいつもスーパーにあった。戦争を知らない子供も知っていた。

そんなオモチャ(と言うよりもゴム)の戦車で遊ぶ。
遊ぶと言っても、数台持っていた記憶はなく、1台で遊ぶ。
そこはあなたの想像に任せます。とにかく旅行中も車の中で遊んでいた。
車の中で見る戦車は、格別な動きをしてくれた。
もちろん動かしているのは私の指なのですが、ドコも可動しないのですが、
その時、手の中にあった戦車は、間違いなく動いていた。

目の前にいた少年の目を輝かせるだけの魅力があった。
この頃から、私はある種のフェロモンに弱い人間であった。

伊豆長岡ホテル…へ行く途中に寄ったスーパーで、
私は新しい戦車を手に入れた。なぜ“戦車”という名前なのかまで
想像していたかはわからなかったが、その響きには憧れがあった。
ある種の“井上陽水”のような響きだ。得たいが知れない。

その頃はまだ妄想の楽しさを知らない子供であった。
それで良かった。妄想を覚えると、想像や創造が難しくなってしまう。
一つだけ覚えているのは、“安い菓子”を買ってくれたのはいつも母だった。

夏といったら何だろうか?
スイカ、梨、伊豆、祖父母、戦車、伊豆、トンボ、伊豆、海、懐メロ、キャンプ、
崩壊、山、母の笑顔、カブト虫、伊豆、スーパーアオキ、コテージ、ガンダム、
かき氷、伊豆…様々なキーワードが出てくる。伊豆は何度も出てくる。
私の夏の記憶のイイポジションをキャンプ場が占領している。

一昨年、母と久しぶり(15年ぶり?)に当時よく訪れた伊豆のその場所まで
ドライブした。伊豆の西海岸に位置する、宇久須キャンプ場だ。
スーパーアオキもまだ、そこに存在していた。
もう戦車を手にしていないが、ガムを噛んでいた。
まだ春なのに、とても蒸し暑く感じた。ココが夏の思い出のその場所だからか。
若しくは単に宇久須はいつも蒸し暑いのか。

i????jП??05.jpg

朝から大雨。ザーザー。ただ、それも西日暮里駅まで。
駅からは地下鉄。霞ヶ関駅から会社までは直結だから濡れない。
濡れない会社。晴れた日も雨の日も、日差しも雨水も届かない。
ある意味、風流も趣きも無いけど、そんな無常なものほど好きだったりします。
車のボディとか、扇風機の回転とか、注射器の先端とか。
素朴を神秘と感じてしまう、くだらなくも香ばしい子供の領域を出れていないのか、
超越した未知の領域に進もうとしているのか、神のみぞ知る。
この恋の行方も。空から舞い落ちる雨粒のカタチも。神のみぞ知る。

昨日のランチは農林水産省で、同期の伊藤(it)と食べた。
肉豆腐定食+玄米ご飯大盛りでも、550円。安い。
今日は大雨だったので、飯野ビルの地下街で食べた。
桜丼+蕎麦のセットで800円。何でこんなに高いんでしょうか…。
官公省庁は安過ぎる・・・
我々の税金は一体、何に使われているのでしょう。気になって夜も眠れません。

今日の1曲「 ひょっこりひょうたん島 / GO!GO!7188 」
http://www.youtube.com/watch?v=6R1lGvweCpQ&NR
もう1曲「 トカゲ3号 / GO!GO!7188 」
http://www.youtube.com/watch?v=lxWUS2vs4tc&NR
この2人はスゴイ。現代版のすかんちといった感じです。技術力がある。
posted by taca at 21:00| Comment(14) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月20日

親友の親と彼女

友人の死  http://catcamera.seesaa.net/article/18046350.html
友人の死2 http://catcamera.seesaa.net/article/19978785.html
公害と人害 http://catcamera.seesaa.net/article/19979203.html

(圧縮)01.jpg

上記の写真は、高校3年の春。TDLにて。真ん中はミッキー。右上がジョッキー。
真ん中下はイワケン。右下の上下オゾンロックスが俺。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
高校2年の時( 17歳 )、イワケン( 当時はリーパー )に誘われ、生まれて初めて
献血をした。初めて自分の血液型を知った。O型だった。みんなの予想は外れ。
私の思った通りだった。血液型で性格がわかるはずがないが、気性はわかる気がする。

家族に一人だけB型の姉がいるが、B型の姉は明らかに違う。何もかもが・・・だ。
うちの家族は、器用で細かい作業が好きで、おせっかいで、絵が美味く、
人に合わせるのが好きだが、B型の姉は、とてもマイペースで、不器用で、飽きやすく、
堅実だ。アクティブでポジティブで、非常に癒し系。そして痛い目にあっても
次に生かせない。立ち直る早さは早い。羨ましい。それは私とは正反対な気性だが、
そのような人間とは元来、相性がいい。O型とB型は結婚する時のベストだ!と言うのも
わかる気がする。
とにかくその姉になついていた。男勝りだったから…というのもある。

献血はイワケンの趣味から、俺とジョッキーの趣味になった。既に30回以上。
人助けの気持ち以上に、血液検査の代わりに利用している。献血はする度に、血液中の
コレステロールや赤血球など、こと細かく検査し、その結果を毎回、郵送してくれる。
コレを病院でやると3000円はとられる。また、居心地がとても良い。待ち合わせ代わりに
使っていたほどだw みなさん、献血センターへ行ってみて下さい!驚きます。
無料の漫画喫茶・・・そう形容されている新宿センターがお気に入りです(笑)
******************************************************************
高校は公立(都立**高校)が本命で、私立(私立***高校)が滑り止め。
もちろん両方とも合格した。受験時は私服である町田高校へ入学したかったが、
担任教師に煙たがられていた私は偏差値が足りず、無理だった。
まあ、教師に対して「あなたの教え方はいまひとつですね」などと言う
ガキが可愛がられるはずもなかった。

この頃から、『人に好かれるより、人が成長する』ことに重きをおいていた。
俺は嫌われてもいいのだ。それで相手が成長できるのであれば。

それは年長者に対しても崩さないスタンスであった。

そのようなスタンスの俺を理解してくれる人が今はたくさんいる。
正直に、素直に生きていないと、本当の俺は認めてもらえない。
言いたいことも言えず、表面だけを飾り、妥協して生きていたら、
集まってくる人がみな“勘違い”している。それはイヤなのだ。
汚い部分や、ダメなところを開けっ広げにして、それで遠くへ行ってしまう人は
追いかけない。そのうちでいい。そのうちわかってくれればいい。

だからいつでも言いたいことを言う。本当の自分を曝け出す。
それに注力しているから、人はバカと言うのかもしれない。
******************************************************************
入学してすぐ、私の入った高校の方が家からも近かったのもあるが、
制服の素晴らしさを知り、町田高校へ入学しなくて良かったと思った。
ウチの高校は普通のブレザーだった。女子の制服も。可愛くなかった。
それでも、服選びに時間がかからずに良かった。

私達の代が入学してから、我が校の偏差値は下がり続けた。
男子は定員割れとなり、受験すれば誰でも入学できるようになった。
逆に女子には人気があった。単純に、学生には人気があり、大人には人気が無い、
在籍している分には気づかないが、ハタから見ると印象の悪い不良高校だった。

私は購買のチョコラスクが大好きで、弁当を食べると間違いなく購買へ行き、
白ラスク、黒糖ラスクと迷った挙句、チョコラスクを買って食べた。
それはとても甘ったるくて美味しかった。バナナチップにチョコをかけたような、
甘いものに甘いものをかける美味しさを知った。
過剰も不足も、誰かが決めることではない。

いつの間にか水泳部の部長になっていた。
でも、全然練習に参加しない部長だった。カラオケとバトミントンが好きだった。
部員が70人もいたが、常時練習に参加する人は少なかった。
日焼け目当ての女性部員が多かった。
俺は部活に顔は出すものの、泳ぐ人が多い日は、全く泳がなかった。
プールサイドで偉そうにする。もしくは冬だけ頑張る(笑)
逆に、誰もいない日に一人で泳ぐのが大好きだった。
夏の雨の日など、絶好のプール日和で、いつも独り占めしていた。
夏休み中は普通に彼女(部外者)を入れていた。それは部長の特権だったw

この時期も、まだ彼女ができても隠していた。仲の良い親友にも、黙っていた。
そのくせ、友人に彼女ができると冷やかしていた。
そんな卑怯な一面も持っていた。イヤなガキですね。
まあ照れくさかったんだろう。彼女が4つ上で気恥ずかしかったのだろう。
饅頭は最後の一口が美味しいんだけど、誰もわかってくれない。
******************************************************************
高校1年生の時にリキヤ、2年生の時にジョッキーとイワケンに会った。
彼らを含めて、現在、私には8人の親友がいる。
まあ、こちらが一方的に親友と思っているだけで、向こうは只の友人と思って
いるかもしれないが、相手にわざわざ伝えることもしないが、
会う回数も年数回程度だが、とても太く大きな心の支えになっている。
相手には伝えていないが、いなくなると本当に辛くなる…そう思える親友がいる。
年に数回も会わないが、世界のどこかで彼らがいれば、ソレでいいと思う。
それだけで孤独や寂しい気持ちにはならないですむ。
******************************************************************
高校2年〜卒業まで、いつも4人一緒だった。
イケメンなイワケン、可愛いキャラで人当たりが良いジョッキー、
一見怖がられるが面白いリキヤ、3人とも成績に反映しない分野で
特出したものがあり、頭の回転もはやく、個性も強かった。
一緒にいるだけで楽しかった。
まあ、E君やK君もいるにはいたが、彼ら3人以外の記憶は「名台詞」以外
は殆ど無い。そんな高校内生活だった。とても楽しかったんだが・・・
写真が少ないせいか記憶も曖昧。
覚えているのは多摩センター、カラオケアルタ、TDL、お台場、サンロード、
スガキヤ、ミスドの裏、マスダヤ・・・ぐらいだろうか。
他は現存するものの記憶しかない。
やはり、写真って大切ですね。もっとガンガン撮っておけば良かった。

なんでもないようなことが幸せだったと思う(by虎舞竜)

高校外生活…つまりアフタースクールはどうかと言うと、バイトとギターに
明け暮れていた。私のバイトと聞くと、なんだか尋常じゃないものばかりと
想像されるが、この頃は普通のバイトをする普通の高校生だった。
ガソリンスタンドや焼肉屋など、普通では「ツライ」と言われるバイトで
あっても、小学生の頃に水道会社で土木作業を手伝ってた経験もあり、
どれも簡単で退屈だった。
******************************************************************
今、健二という友人がNYで働いている。国の金でNYに行かせて
もらっていたのに、現地で現地法人にスカウトされ、アッサリと転職した。
彼はどこでも引く手数多で羨ましい。
無類の餃子好きとして、会ったことなくても彼を知っている人は
たくさんいる。1年間365日で、365日800食は餃子を食べる。
それが彼。ただのアホである。
日本にいた頃は、よく一人暮らしのウチに合鍵で進入し、俺が帰宅する頃には
餃子を焼いて待っていてくれた。「今日はトマトと玉子の餃子やで」・・・
といった今日の餡(餃子の中身)が、いつも第一声だった。
「今日、ウチの夕食、餃子やねん」と言うと、その家庭へお邪魔して、
餃子をご馳走になる。そんな生活を数年間も続けていた。
様々な家庭にお邪魔するため、友人の両親兄弟とも仲良しで、そういった
コミュニティでは俺よりも広範囲で強いものを持っている。
そこまでいくと本当のアホではない。

健二は、かなりイケメンで、パッと見、モデルのようだ。
もちろん、話上手であるため、もてる。
もてるのに裕二と違って、一人の女性を愛する事ができる男だった。
彼女がいた。過去系なのは、今は健二の奥さんになっているから。
「今日も餃子なの〜??」が3年前の口クセだったが、彼女も人間であり、
知らず知らずのうちに、別メニューを食べる知恵を見に付けた。

健二のプロポーズはウチで行われた。
昨年の夏。暑い中、ハローキティの小テーブルの上にホットプレートを置いて、
餃子を焼く健二。横で「JOJO」を読む彼女。焼きあがった頃に帰宅する俺。
白飯が炊けると、突然話し出す健二。
「俺、9月からNYで働くねん」
まあ、彼の仕事内容からも、特に驚くものでもなかったが、
彼女は何か思うところがあるだろうと思い、とりあえず最後まで聞く事にした。
「おめでとう」。彼女は笑顔で祝福の意を口にした
俺も口にしたが、それは消え入りそうな声だった。
健二は表情を変えないまま、次の言葉を出すために空気を吸い込んだ。
「俺と一緒に行かないか」
もちろん、俺に言った言葉ではない。彼女さんに言ったのだ。
もう俺は傍観者というよりも、空気を言うかサボテンというか・・・
家具みたいなものだった。
「考えとく」。悩んだ余韻はあるものの、淡々と彼女は口にした。
とりあえず、めでたい席なので、3人で大いに飲んだ。
3人で缶チューハイを40本は飲んだ。
途中、酒がなくなり箱買いしてきたのに、なくなってしまったくらいに(笑)
飲みながら、健二を見ると、何か確信を得た表情で最高の笑顔を浮かべていた。
UNICORNのヒゲとボインの歌詞には当てはまらない男だ。

今はNYだから餃子が頻繁に食えない健二。何かスゴイ賞を受賞したらしく、
ベガス10日間の旅をもらったらしい。いいなぁ・・・アメリカンドリームや。
同じく餃子が恋しくなっている奥さん。相変わらずの多趣味っぷりで、
今はゴルフボールアートをしつつ、寄生虫について研究しているらしい。
俺の(この)ブログを英語に訳し、別のブログで掲載していたりもする。

今、日本人と外人の5対5のある意味の合コンや、日本音楽を紹介する会、
日本料理を教える会を開催しているらしい。彼らの今後の活躍に期待したい。
******************************************************************
話は変わり、健二のお母んから、昨日もメールが届いた。
どうやら、花火大会に大勢で屋形船を借りて、船上鑑賞するらしい。
そのお誘いメールだった。

私も友人の両親兄弟に好かれやすく、仲良くなりやすい。特に健二がNYへ行ってから、
健二のお母んとの関係が密になった。いや、もちろん怪しい意味ではない(笑)
特にダンスサークル(もちろん年配者のみ)に呼ばれる事が多い。
行くと、「あらー健二君、大きくなったわねー」「まだ子供は作らないの?」
「今、いくつなの?え?26?学生かと思ったわー」
「お母さんと、似てないわねー」・・・など取り囲まれ、結局最後までいる。
そんな場も、楽しいと感じてしまう・・・誰か、今度一緒に行きましょうw
ってか、健二!お前がたまには帰国しろっ!!

そんなこと言ってても仕方ない。
平均年齢50歳の船上鑑賞・・・誰か一緒に行きませんか?(笑)

家族と友達がいれば、それでいい。
人間関係が、信頼関係が、この世で最も大事なもの。
posted by taca at 21:30| Comment(22) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

公害と人害

心臓の弱い方、今後とも今の生活を続けたい方は読まないで下さい。
あくまで、我々の社会に対する警鐘ですが・・・・内容がちょっと残酷です。
ただ、煙草を吸われている方は読んでください。

(圧縮)トンネル.jpg

日本の奇形児出生率は世界一と言われているが、
その原因はイロイロと言われている。が、果たしてそれが原因なのか?
奇形児出生率も歯止めがかかっているように見えるが、
(1.77%(2002年)→1.84%(2003年)→1.77%(2004年))
果たしてこれほど少ない数字なのだろうか!?

ベトナムは枯れ葉剤というダイオキシンを撒かれた結果、それらが奇形児の
出生原因といわれていますが、日本の方が今、多いのはなぜだと思いますか?
ベトナムは現在、約1%で減少中なのです。

奇形児出産は一般に報道される事なく、毎年何万人も起きているのに、
なぜ公表されないのでしょう?
聞いた話によると、現在では出生児の1/3くらいは奇形児・・・らしいです。
特に多いのが***の無い子供。耳だったり手だったり・・・。
根拠のない話ばかりですみませんが、3つの病院の看護婦の話を
総合すると、そうなります。
彼女たちは、「恐いから子供は一生産まない」と言っていました。
そうか。こう考える人が増えるのを恐れて、あまり公表されないのか?!
 
体面を重んじる日本社会では、両親の意志に係わらず医院の判断によって
殺害され、両親は赤子はもちろん、その死骸すら見せられる事なく
「死産でした」 と報告される。
そしてその事実は厚生省へは報告はされるが、一般に 報道される事はない。

ある出産で、皮膚がない子供が産まれた。よくある話だ。
もちろん内臓は露出している。死産となった。死産ではないのに。
母親は自分を責めた。 しかしその理由は母親の不摂生ではなく、
食品添加剤や有害物質汚染である事を医師は認めた。

原因を考えたい。ダイオキシン?紫外線?放射能?水銀??
口紅に赤色202号が含まれているだけでも決定的に危ない。
色つきのお菓子も危ない。
乳化剤/湿潤剤/界面活性剤/着色料/染色料/染毛剤・・・・
茶髪にすることで、イロイロなものを犠牲にしている場合があります。
特にアミンは、ガンを誘発します。
痩せるために変なものを食べている場合もあります。
父親が食べても、煙草を吸っても、精子に害となり、子供に影響する。
お菓子を食べて生きていると自慢する子供のような大人もいます。
本当に・・・・ありえない話が日本には溢れています。
なんにせよ、遺憾だ。
カワイイ子供が(どんな理由かわからないけど)未熟に生まれてくることも、
可能性を減らすために煙草やステロイドや有害物質を止めない大人たちも。
食品添加物は、わかりにくいので、確かに仕方ない部分もあります。
ただ、目に見えて体に悪いとわかるものを・・・・やめない人には言いたい。
タバコを1本吸うたびに、子供の能力が衰えると聞きます。
それでも、タバコを吸い続けるのでしょうか?
それでも、タバコを吸い続ける人の子供が欲しいでしょうか?


確認とれていないなら、こんな縁起でもない情報を無責任に流すな・・・・
と言われてしまいそうだが、別にネタで流しているわけではない。
もっと自分の体を大切にしてほしいのだ。
少なくとも、このブログを見ている人には気持ちよく生きて、
そして老人になって寿命を迎えて、笑顔で死んでほしいのだ。


大学でかなり熱心にこういった分野を勉強し、ベトナム・中国で
それを活かして行動もしてみたが・・・・やはり百聞は一見にしかず。
どうやったって、認識は出来ても、理解はできない。
どこか他人事と考えてしまっている。
一週間も一緒にいても。腕で抱きしめても。食事をあげても。

ベトナムの奇形児の写真はネットで探せばいくらでも出てきます。
コレはダイオキシンの影響と書いてありますが、ベトナムではそうですが、
煙草の害でも、大差はないと言われています。
確信はしていますが、言い切れません。
そう認められる完璧な証拠がないというだけで。

もちろん、障害者だからって、どうこうってことはない。
社会で活躍している人も少なくない。私の友人でもいる。
有名人もいる。本当に立派だと思う。

それを評価する社会も健全なように見える。
だが世の中にはそれとは別のハンデを背負っている人がいる。
体は五体満足であるが、人の第一印象である顔に異常がある人だ。
体は健常者だから普通に社会生活ができる。
だが目に見えないハンデを背負わされ、差別される。
社会も助けようにも助けられない。勧告することが、また相手に衝撃を
与えるから。人前に出る職業は難しい。健康なのに恋愛や結婚も難しい。
その苦悩は健常者や障害者にもわからない。

不幸な人についてイロイロなことを考えると、
自分の持っている今の悩みなんて、本当にちっぽけなものだと思う


何か、とても良いボランティアがあったらいいのに・・・・
少なくとも、ボランティア団体は信用できません。
(海外でたくさんの醜態を見てきたので・・・・)
時間があれば、以前のように海外へ赴き、
一緒にイロイロとできるのに・・・お金を渡す以上のことを。

ことわざで、こういうものがある。
「ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。
魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える。」

その通りと思い、ベトナムでは子供に職を斡旋したりもした。
大した役には立てなかったが、それでも1ヶ月で6人の子供を
若干の金銭を得られる仕事につけた。

今なら、もっとできる気がする。勇気付け、行動に結びつけ、
もっと笑顔を与える事が出来ると思う。思い上がりかもしれないが・・・・。

人生は全て次の二つから成り立っている。
「したいけど、できない」
「できるけど、したくない」


俺は前者の方が多過ぎる。とてもつまらない人間なのかもしれない。
もう、友人が死ぬのは見たくありません。
W杯で優勝すれば、世界は平和になるのでしょうか?
現実逃避したい・・・子供の笑顔が見たい・・・
今日はエジプトの子供の笑顔で癒されます。もちろん健常者です。

(圧縮)345.JPG (圧縮)344.JPG (圧縮)341.JPG

なんで外国の子供って、こんな笑顔ができるのでしょう。
不思議だけど、大好きなので、理由はまた今度考えます。
こちらは、ベトナムの子供たち。もちろん健常者です。

(圧縮)画像 173.jpg (圧縮)画像 168.jpg (圧縮)少女.jpg

左:1日10時間働く子供。しかも村まで片道2時間。
中:家の無い子供たち。
右:施設の子。一緒にお絵描きをした時の写真。
posted by taca at 20:41| Comment(17) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

友人の死2

(圧縮)0249.JPG
また一人友人が死んだ
Sが死んでからもうすぐ2年。最近は何事もない生活だったが・・・・
これで12人目。俺は死神か!?って思ってしまうくらい死んでいる。
まあ知人が人一倍多いから、相対的に見れば少ないのかもしれない。
とにかく、昨日はブルーだった
違った理由で他にもブルーな出来事があったから。

まだ27歳。名前をとしよう。3年前はモテモテだった。
以前、ブログで「友人の死」という題名でSについて触れたが、
このブログを読んで「私が死んだら、ブログに書いてね」
いうメールが届いた。その時初めて、Kの現状を知った。
先日、アポをとって病院へお見舞いに行った。3年ぶりに会った・・・
長い茶髪ではなく、メイクもしておらず、容姿は変わり果てていた。

昨日、Kが死んだことを知らない人はたくさんいる。
コレを読んでいる人も「たぶん知らない人だろう」と
思っているかもしれないが・・・・なんともいえない。


とても活発に動き回る子だった。ちょっとバカだが、そこが可愛かった。
明るいムードメーカーで、いつも目立つ存在だった。
家庭に問題があり、そういった内容の相談はよくされた。
同じ父親のいない環境のため、若干は親身に話せたのかもしれない。

女性はこういうもの・・・・というイメージに当てはまらない子だった。
甘いものを好まない、スカートを履かない、料理もしない、恋愛の話をしない、
雑誌も読まない、買い物もしない、モツ鍋とミニトマトとレタスが好き、
そんな子だった。ただ、カラオケは好きだった。
男関係はいたって真面目で、付き合う男はいつも固い男だった。

死因はガンだった。何がどう作用してそうなったのかはわからないが、
あまりにも身近なガン宣告であった。本当にガーーンとなった。


昨日は朝からイロイロあって呆けていたが、一発で目が覚めるメールが
飛び込み、忘れられない1日になった。
Kのお母さんにもよく「この子と結婚してあげてー」と言われたw
私はよく友人・恋人の両親に好かれるのだw
仲が良かった分、メールの簡潔さには心揺れた。

闘病生活・・・・この言葉を聞いて想像できるものは、
人によってあまりにも差異がある。格差がある。

目の前で、嘔吐した人の口から嘔吐物を取り除いたことがありますか?
暴れる知人を取り押さえたことがありますか?
ウソをついて宥めたことがありますか?
目の前で人が血を吐いて死んだことがありますか?


私は・・・・考えても考えても考えても、今、自分に何ができるか、思いつかない。
Kが死んだことも、特に公表はしない。
Kならたくさんいるから、イニシャルならわからないだろう。
でも忘れられたくはないらしいので、約束通りブログに書いた。
約束していなくても書いただろう。

来週から、“荻窪”と聞くたびに思い出してしまうだろう。
会社の後輩が荻窪に住んでいるため、頻繁に・・・・


近いうちにウィルコム機種変更しよう。風を入れ替えないと、体が腐りそうだ。

(圧縮)ドアー.JPG
posted by taca at 09:02| Comment(27) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

母想い

(圧縮)YMCA室内.jpg

母親と出掛けたりするのが恥ずかしくないわけでもない。
でも、それ以上に楽しいと感じている。
30歳も年齢の離れた母親とも話が合うため、気兼ねなく色々な話をする。
母も大変頭が良くで、柔軟に受け答え、その全てを吸収してしまう。
この歳になっても、未だに「母より知能がある」なんて思った事が無い。
母と話が合うのも、母が勉強熱心だからに他ならない。
インターネットがわかる。ブログも書いている。55歳とは思えないほど
活動的で、日々向上を続けている。本当に私は母にそっくりだと思う。
それを誇りに思っている。
******************************************************************
私の家は5人全員が仲が良い。怒ったり、ケンカしたりするものの、
1時間もあればホトボリは冷め、何事も無かったかのように振舞える。
それが母が築いた、母らしい家庭だった。そんな家庭で育った。
******************************************************************
小学生の時、ラグビーの試合の度に、母は「行った方がいい?」と聞いてきた。
私は、母の邪魔になるような、面倒をかけるような子供になりたくない!
と毎日のように思っていた。そのせいか、「仕事を休んでまでラグビーの
試合なんて見に来なくていい」と、よく言ったものだ。
しかし、数年後に振り返ってみると、その「行ってもいい?」は、
「他の子の父母はどうしてるの?」「行ったら邪魔なのかな?」という
確認であり、お願いであったのだと思う。
私は母に見られて何かをするのが嫌いな子であり、母はそれを知っていた
ため、そこに慎重であったのだと思う。
見に行きたい衝動よりも子供の意見を尊重してくれた。
一度くらい見に来てもらえば良かったなぁ・・・今になってそう思う。
******************************************************************
使っているヘッドキャップやスパイクも、母は見るたびに「新しいのを買おう」
と言ってくれた。だが、私はそれも拒んだ。
うちにはお金がないから、私の都合で迷惑をかけてはいけない。
それが、いつも私の心にあった。。今でもある。
さすがに私の主張が届かないほど原型を留めなくなると、
いつの間にか新品の服やスパイクが用意された。
口では「いらんのに」と言いつつも、とても嬉しかったのを覚えている。
お母んに見られない所で、映画のようにスパイクにキスをした記憶もある。
そして、その日は障子を破かないように注意して歩いた。
こういう日に限って、何か失敗をするドジな子でもあった。
だが、周囲にドジな子と思われたことはないようだった。
******************************************************************
心配性な母は、私の体にも細心の注意を払っていた。
私の体には、姉と同じ腹から生まれたとは思えないほど不良箇所がいくつもあり、
それを母は大変気にしていた。今はかなり健常者なので、堂々と言えるが、
当時は大変で、本当に見えないところで私は闘っていた。

特に、目の悪い母は、目の悪さに敏感で、遠くても「優秀な眼科」に通わせた。
それは結果的に意味はなかったが、私は母親の愛をひしひしと感じていた。
診療後に飲む「ピクニック ストロベリー」の味は、今でも忘れられない。
******************************************************************
2005年3月18日
忘れもしない、私が右目の角膜移植手術を行った日だ。
角膜提供者はオーストラリア人であった。母は、我が子の目が正常になる
という喜びと、手術に対する恐怖を感じていたことだろう。
当事者の私は、そのどちらよりも、お金の心配ばかりしていた。

手術日当日、母は来なかった。誰も来て欲しくなかったわけじゃないが、
私のために時間を作ってもらうのを、とても恐縮した。
もちろん、母は来たいようだった。彼女も会社を休んで立ち会うと言っていた。
それらを拒み、私は一人で手術した。病院に執刀医に手術された。

******************************************************************
病院側には驚かれた。普通はこの手術をする場合、95%の人が1週間は
入院する。私の選んだ眼科は日本で唯一、入院は不要なトコであった。
だからそこを選んだ。もちろん、その病院で手術の場合は、病院の近くの
ホテルに1泊はする・・・のだが、私はしなかった。
家から電車で45分の地に泊まるのは、なんだか時間の無駄な気がした。
それを知っているから尚更、一人で来たことを告げると、担当医は驚いていた。
宿泊する人も入院する人も、家族が付き添いに来て、視界の悪い患者を
補導する・・・それが当たり前であるのだ。
「日本初」と言われ、複雑な気分であった。
私は25歳にもなって家族の付き添いは不要だと思っていた。
これで良かったと思っていたのだが、
病院からは“冷たい家族”と思われたのかもしれない。

******************************************************************
夜は一人暮らしの私の家に、彼女が来てくれた。
そこから一週間、色々と面倒を見てくれた。
1週間はシャワー禁止のため、顔に水がかからないように、髪も洗ってくれた。
そのおかげで、回復も怪物的に順調だった。
今でもその時の彼女には大変感謝している。
母も、言い尽くせないほど感謝しており、未だに、私と顔を合わせる度に
「あの子(元彼女)に何かお土産を持っていってほしい」と、私に打診する。
買って直接渡したいようだが、今は別れてしまっている彼女に、
母が会うことはないだろう。

******************************************************************
会社も1日も休まなかった。金曜日に半日年休をもらって手術をし、
土曜日に術後診察を行い、月曜日の早朝に再診察し、その足で会社に行った。
もちろん右目には眼帯をしていた。
私の職場は40名ほどしかいない少数精鋭な部署であるが、そのうち
半分以上の人は、私が手術をしたことに気づいていない。未だに。

******************************************************************:
周囲から見て、私の顔は変わっていない。普通に目があり、普通に口がある。
しかし、以前は私の右目は“お飾り”であった、実際は光しか感じられなかった。
それでも、両目の見える人として演じ続けなければならず、
人と街角ですれ違った時などは、相手に気づかず、いつも相手に失礼をした。
母にも、詳細には伝えていなかった。不安にさせるだけだと子供の頃から
思っていた。私は図書館で本を読みあさり、自分の目の病気と闘っていた。
試してみたい治療法はいくつかあったが、当時はそのどれにも法外な値段
が記してあった。母にもイロイロ勧められたが、それらは全て知っていた。
治療内容も料金も。ただ、その時に他の手段をとらなくて本当に良かった。
今、私の目は両目ともよく見えるから。

私は子供の頃からコンプレックスを持っていた。
みんなが美味しいと思うものが美味しくない。寿司だ。だがそれは特に
問題はなかった。私は他の人よりも優秀な舌を持ち合わせていると
思っていたから。好き嫌いが多いというのは、舌が敏感な証拠であるのだ。

みんながキレイだと言うものがキレイじゃないのがイヤだった。
それは花だった。今は花をキレイだと認識している。と言うよりも、
右目の手術後に初めて桜を見た時の感動は忘れられないほどの衝撃であった。
あぁ、桜ってキレイなんだなぁ・・・
率直な感想が、自分の耳から入ってきて、自分の言葉で泣いた。

******************************************************************
さきほど、怪物的に・・・と言ったが、コレは病院で必ずでる形容詞だった。
今回も術後治療を通常の人の半分で終わらせた。
目薬の使用期間も半分で済んだ。
世界一の執刀医に執刀してもらったせいもあるだろうが、私の回復力が
常人とは異なると以前から知っていた。骨折も2週間で治した。
コレもきっと、日頃の食事のおかげなのだろう。
子供の頃から料理が好きだった母は、健康第一主義でもあり、
“栄養”は至上であると、洗脳された。そのおかげで身長は177cmまで伸びた。
******************************************************************
今まで、母に付き合っている女性(彼女)を紹介する事はなかった。
過去に2回だけ紹介した事はあるが、それ以前はやはり恥ずかしかった。
16歳の時、20歳の大学生と付き合っていた。
姉より年上であり、コレは絶対にばれてはいけないと思っていた。
多分、ばれていなかった。その後の数年間にお付き合いした女性遍歴も
恐らくは、ばれてはいないだろう。いや、もしかするとばれているかも
しれない。まあ、今となってはどっちでもいい。
親に隠し事をするのが楽しい年頃であったため、それが殆ど唯一の
反抗期の反抗だったのかもしれない。
そのくらい、ウチの家庭は平穏で、重大案件と言っても進路や成績の話
程度で、大した話ではなかった。そのため、面白い話だけを家に持ち帰った。
******************************************************************
私が不倫している時も、友人がニュージーランドで殺されたことも、
女友達が暴行されたことも、ウチによく遊びに来ていたS君が心臓病で
死んだ事も、友人が数人捕まったことも、話さなかった。
悲しい出来事は知らないほうがいい。教訓は“世間の事”として話せばいい。

アルバイトもそうだった。ドコで何をしているか、あまり話さなかった。
心配されていない人間は、何でもできるが、心配されていると、
ブレーキがかかる・・・そう知っていたため、若いうちの無謀な経験のために、
母には何事も黙っていた。かなり危ない仕事もしていたと、今になって振り返る。
大学に行っている・・・と思われている時に、新潟で不動産を売ってたりもした。
風俗まがいの店でも働いていた。普通にキハチでソフトクームも巻いていた。
とにかく、どんなことでも経験しないといけない
と思っていた。せっかく産んでくれた親のためにも、
少しでも多くの経験と知識が必要と感じていた。
それを母親に話すのが使命だとも感じていたが、
実際に話せるような内容は少なかった。話題がない時はニュースの力を借りた。
******************************************************************
現在では、実家に帰省すると、マシンガンのように話す。
仕事の話、健康の話、ニュースについて、政治について・・・
話すのが私の唯一の特技がといわんばかりに、喋る。喋る。喋る。
1時間の会話で5時間分の内容を詰め込んで話す。
会っていなかった間の時間を埋めるべく、喋る。喋る。喋る。
自分で言うのもなんだが、人に何かを説明し、納得してもらうのには
長けているため、いつも母は「うん うん」言いながら聞いてくれる。
そして最後にこう言う。「あなたは本当にスゴイねぇ」と。
屈託の無い笑顔でそう言ってくれる。
******************************************************************
就職先を選定する際も、大変悩んだ。何のための就職か・・・
それは自分のため以上に、親を喜ばせるための就職であった。
そのため、内定をもらって一番喜んでいたのも、母だった。
私は天狗になっていて、自分は全ての会社から引っぱりダコと就職活動前から
思っていたため、内定をもらう喜びも半分であった。
******************************************************************
最終的に6社から内定を頂いた。2社断った。
2社落ちた。天狗のくせにプライドは低いため、特に傷つくことはなかった。
すぐにどこの会社に入るか迷った。
母は相談には乗ってくれるが、決定は必ず子供にさせていた。
自由にすればいい・・・いつもそうやってインフラだけを提供してくれた。
受ける会社の選定理由は「やりたい仕事」「金になる仕事」そして、
「CMをしていて知名度のある企業」であった。
3つ目の理由は、もちろん母親を安心させるためである。
大学進学の時も、そんな感じであった。
それでも、特に母の言い成りになっている・・・や、母に合わせているとは
感じていなかった。何も言われていないこともあるが、マインドが似ていた
のだろう。私がやりたいように選んだことは、大抵、母親を喜ばせてきた。
今の会社も、自分のしたいコトができる、“行きたい会社”として選んだが、
母の期待以上の大企業であったため、いつも以上に喜び、ホッとしていた。
私は末っ子のため、私が卒業すれば、学生はいなくなるのだ。
母の長い長い“子供のためのお勤め”はようやく幕を閉じたのだ。
******************************************************************
手術の時以上に母親に心配をかけたのは、やはり留学〜旅していた時だろう。
帰国した時、私は20kgも痩せ細り、177cm45kgであった。
山をさまよった話、カエルを生で食べた話、棍棒で散々殴られた話、
そのせいでベトナムに長期滞在するはめになった話・・・
帰国するまで話せないと思い、帰国するまではE−メールでのみ連絡を行った。
それで心配もかけたが、話していたら更に心配させていただろう。
帰国した後、小腸と大腸を2回洗浄した。
「ありえない細菌」がたくさんいたらしい。たしかに、そんな体験の
オンパレードであった。今では笑い話でしかない。
******************************************************************
一度口にした言葉は戻ってはこない。子供の時から、それは知っていた。
そのため、口数のとても少ない子供であった。一人遊びとユニコーン
(奥田民生がボーカルの、ロックバンド)が好きだった。
ガンダム、エロ本、写真集・・・同じ歳の子供が欲するものにそれほど熱中
したことはなかった。どこか一線を引いては、自分の楽しさが
何かを考えていた。そして熱中の時期は人より遅れてやってきた。
******************************************************************
何回目の誕生日を迎えた時だっただろう。欲しくてたまらないオモチャを
買ってもらった。私は嬉しくて嬉しくて、母が止めるのも聞かずに、
そのオモチャをランチを食べたロイヤルホストで開封し、遊んでしまった。
家に帰り、再度箱から出してみると、在るべきところに在るオモチャの部品が
無かった。恐らくロイヤルホストで落としたのだろう。
他の部分なら、失くしてもオモチャの価値はそう落ちないが、
この部品は、失くしてはならなかった
ぬいぐるみで言えば、目の部分である。ないと印象がガラリと変わる。
失くした部品は、そのロボットのコックピットに乗る操縦士だった。
失くしてしまったショックよりも、母にそれが見つかるのが怖かった。
何も知らない母。1日でオモチャを台無しにした自分。
当時、私は5歳だった。もう判別もついていい年齢だった。
その時の自分自身の不甲斐無さは、未だに覚えている。
******************************************************************
子供を養っていくために、視力を犠牲にしていった。
これ以上視力は落とせない。限界を迎え、設計士の仕事を辞めた。
(視力低下で辞めたのを知ったのは辞めてから2年後だった。)

母はよく「私がたくさん借金をしても、4人いれば返せるでしょ?」
なんて冗談を言うていた。最初は半分本気の冗談であったが、
頼りない子供たちに囲まれ、本当に冗談になってしまった。
借金を残すどころか、財産を残さないと、子供たちは幸福になれない・・・
母はきっとそう考えていたのだろう。私はそれがとても辛かった。
たまプラーザで焼肉屋を経営した。以前は青葉台でも焼肉屋を経営していた。
肉が自慢の焼肉屋だった。タレとご飯がとても美味しい焼肉屋だった。

母は本当に疲れていた。疲れすぎて、深く考えられないようになっていた。
その時の支えになったのは、やはり子供だったと言う。
私は支えた気はないが、支えになりたいとはいつも思っていた。
でも、何もできなかった。所詮は子供であった。
経営者であり、店長であり、管理者であり、会計人であった。
子供を4人も抱えていたのに、借金を残す事を大罪と考えていたようだった。
足枷(あしかせ)になっていたのは、やはり我々4人であった。
悠々と高校へ進学し、仄々とした大学生活を送った子供たちを、
母は爪の先に火を灯しながら見ていた。童顔のため、老化は人より遅く、
苦労が顔に出ていないのが、我々子供4人の唯一の救いだった。
******************************************************************
私は母に対して、どれだけの恩返しをしているだろう。
一緒に過ごしてきた時間、思い出、旅行、たくさんの笑顔を共有してきた
つもりである。高校進学、大学進学、大手企業に入社。これで結婚して
孫の顔を見せる事ができれば、普通に親孝行にはなるのだろう。
しかし、私はそれでは到底、足りないと感じている。
******************************************************************
母はたった一人で兄弟4人を育ててくれた。両親が離婚した時、私たち兄弟は
離れ離れになることを確信し、覚悟を決めていたが、そうはならなかった。
だらしない父親には育てられないと、母は4人の子供を一人で引き取り、
ここまで立派に育ててくれた。自分で“立派”と言うのも照れるが、
一人としてグレたり、人を刺したり、捕まったりすることなく、である。
******************************************************************
離婚をするというのは、一言では語りつくせないドラマがある。
「人に頼りたい」であろうし、「泣き言も言いたい」であろう。
そんな時も、母は強かった
こんな時くらい、弱い部分を見せてもいい、ツライことがあったら、
何もしない時間も必要だと思う。それは女友達が友人に暴行された時も思った。
だが、母には子供がいた。何も考えないで主張ばかりする、
何の役にも立たない、癒しの対象とも言い難い子供が。

夏はキャンプに、冬はスキーに連れて行く。
それが親の役目だと思っていたようで、長期休暇のたびに、
子供4人を連れ、母はどこにでも連れて行ってくれた。
本当はスカイラインのようなスピードの出るマニュアル車が欲しかった母。
でも、子供4人を乗せないといけないため、また、長時間一人で運転する
事になるため、母はオートマの、大型の、頑丈な車を選択した。
「それでいい」が母の口癖だった
「それがいい」とは決して言わない人であった。
******************************************************************
母はファーストフードも好きではなかった。マクドナルドなどに子供の頃は
殆ど行かないで、どんなに忙しくても作ってくれた手作り料理に舌鼓を打った。
母の料理は世界一美味しいと思う。
******************************************************************
いつでも早起きしてお弁当を作ってくれた。お弁当を作っている姿を
見た事はなかった。朝、学校へ行く時に母がいなかったのは、
いつものことだった。母はいつもせわしなく働き、それでも家にいる時は、
子供に疲れた顔は見せなかった。
そのため、家事はかなり手伝ってきた。今の私の趣味が料理というのも、
その時の名残であろう。親は「台所に入ってご飯くらい作れないとアカン」
と言い、家の中に立ち入り禁止を作らない人だった。それが子供心に嬉しかった。
******************************************************************
私は駄々をこねた経験もないが、ダメだと言われた経験もなかった。
無理を言わず、親に対し申し訳なく、一人でイロイロなことを考え、
とにかく迷惑はかけない子供であったと思う。
だからこそ、虫歯の治療後にもらうレシートは、私を悩ませた。
何も食べなければ、虫歯にならずに済む・・・真剣に悩んだ時期もあった。

水泳、ラグビー、ピアノのコンクール、母が通わせてくれた習い事(スクール)
の発表会や大会に、母は殆ど顔を見せられなかった。それほど忙しかった。
来て欲しくない気持ちもあった。照れるから。そのため、一人で何事もした。
母は私を他の親に度々委ねた。ラグビーの大会で秩父宮へ行く時、
幼稚園に迎えに行けないから友人のお母さんに頼む時、
いつも済まなそうな顔で、「宜しくお願いします。」と頭を下げた。
遊園地に小学生の姉と2人で行った記憶も鮮明に残っている。
昨今の犯罪ブームでは考えられない行動だが、他の子供よりも警戒心も強く、
シッカリしていたため、どんなことでもできると思っていた。

幼少の頃に様々な苦い経験をすると“大人への階段”の要所要所にある
「試練」は、特に何事でもなかった。子供同士のケンカ、受験、失恋、
事故、病気、そのいずれも、とても悩んだりはしたが、
大して不安や恐怖にはつながらなかった。自分で言うのも
何だが、とても逞しく育ったと思う。人間力も対人影響力も人一倍強い。
******************************************************************
何事においても後悔が無い私は「あの時、ああしていれば・・・」と思う事が
あっても、もし、そうしていたら、事故に遭っていたかも・・なんて考えてしまう。
そういうポジティブシンキングが、私の人格を形成してきた。
「してこなかったなら、今からやればいい」
私は“今後を見つめる目”だけは熱い。
その目を家族と仕事と生活に、十分に注ぐつもりだ。親へ恩返しをする。
誰にも恥は欠かせない。誰の信用も失わない。そして何より、自分が楽しむ。
それが一番大事であり、一番の親孝行だと感じている。
******************************************************************
ただ・・・“一つだけ後悔したことがある”と、書き始めようと思ったが、
とても長くなったので、ここでお開きにしよう。また、今後書きます。
******************************************************************
人生とは私の思い通りにはいかないものだ。
しかし、だからこそ、楽しくも思い出深い人生となっている。
その全てを自分の努力だけで片付けてしまうのは愚かだ。
人は一人では産まれてこないし、一人では成長ができないのだから。

小説に感化され、母の日も近いこともあり、大変長くなってしまったが、
母親には本当に長生きしてほしい・・・という言葉で〆ようと思う。
posted by taca at 22:04| Comment(42) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

友人の死

「母想い」http://catcamera.seesaa.net/article/17551821.html
に続く長い日記です。ちょっとなつかしくなりました。
*****************************************************************
友人が1人いた。過去形である。名前は“SS”としよう。
2年前、この世を去った。死因は他殺であった。
厚生労働省の死因分類で言うと、X93となる。
海外留学中に、17歳の少年に拳銃で撃たれ、死んだ。

知ったのはインターネット上のニュースで・・・見て知った。
知り合いの訃報なのに、見て知った。
当時新入社員であった私は、やっと仕事にも慣れ、
昼休みに休めるようになっていた。
インターネットでNEWSを読んでいて、見た名前が飛び込んできた。
最初、パソコンに表示されている名前が、冗談だと思った。
しかし消しゴムで消えない言葉は、全てが真実だとわかっていた。

「果たして、コレはSSなのか?同姓同名同年齢ではないのか?」
「もう両親は知っているのか?」「一体、何があったのか!?」
次から次へと、推理小説の主人公の葛藤のシーンのような
言葉が頭をかすめ、既に整理がつかなくなっていた。
SSの実家に電話をしてみたが、予想通り誰もいなかった。
私は何も知らないフリをして留守番電話にメッセージを入れた。
「次、日本に帰ってきたら横浜に行こうぜー・・・」と。
*****************************************************************
SSのお母さんから連絡があったのは、次の日であった。
海外からで、まだ留守番電話を聞いていなかったようだ。
SSのお母さんはm話題をあたかも相手が知っているように話し出し、
よくSSに「まず背景から話せよ・・・」と突っ込まれていた。
今回も、最初の言葉が「本人だったよ・・・・・・」だった。
「そうですか。ご愁傷様です。段取りはどうしますか?」
私はご両親の悲しみを1とすると、0.1にも満たない自分のちっぽけな悲しみ
は殺し、ご両親が感傷的になっている分、自分が何かしないとアカンと思った。
それができない男が、SSの友人などと名乗れるはずが無いと思った。
お母さんも“タカ君はそうするだろうな・・・”と思っていたらしく、
全てを私に委ねた。悲しむヒマも無く、
私は動転した頭のまま、葬儀屋へ連絡した。
*****************************************************************
SSの遺骨が日本に帰って来るまでに、全ての手配をした。
棺桶やら衣装やら、葬式のスタイル・・・イロイロ決め事もあったが、
殆ど相談せずに独断で決めた。全てを任されていた。考えさせるのも辛かった。
寄せ書きや、参列する人の名簿まで揃えた。
会社帰りに彼の母校まで行き、お世話になった先生に挨拶もして回った。
そのせいで同部の課長に「毎日、早く帰りすぎ」と言われたが、
“早く帰る人=忙しい人”と認められない人に、何も言う事は無かった。


SSもひたすら気を遣う男だったので、できる限り彼の意向を汲みいれたカタチで
準備〜当日までを迎えたかった。「会社を休まないで、安上がりで、誰にも負担が
かからないように、それでも立派で楽しいシッカリした葬式をよろしくな」

・・・・・・そんな言葉が聞こえてきた。そして瞬く間に式は終わった。
ご両親と美人の妹さんに「支えになってくれて本当にありがとう」と、
とても感謝された。しかし、それは大した支えではないとわかっていた。
息子を失った両親の、今後の人生の支えにはなるはずだったSS。
誰にもなれっこない。彼以外の代役なんて、気休めにしかならない。
*****************************************************************
海外の地で死ぬ事は、どんなに屈辱的なことか・・・想像もできない。
今は彼の冥福を祈る事しかできない。

ただ、葬式に「彼女」が来ていて、とてもキレイな可愛い金髪の巨乳の子で、
とてもうらやましくなった。普段から、“そういう”自慢をよくする男で、
こんなカワイイ彼女とそんなオイシイ目に遭っていたなら、
あいつは死んで当然であったと思った(笑)
*****************************************************************
笑い話をたくさんして、とにかく盛り上げた。
SSはそれを望んでいると確信していたし、
葬式で泣いてなんて欲しくなかったはずである。
故人を悲しむ人の数を測ることはできない。葬式に社交辞令で来る人が
7割にも及ぶから。本当の涙と嘘の涙があると知っているから。
悲しんでくれる人の数は、死んだ人だけが知っているのだろう。
私も知っている。自分が死んだら何人の人が泣いてくれるか。
それが、本当に大切な友人・家族であることもわかっいる。
生きているうちに、たくさん感謝をしておきたい。
そのためにも周囲の人に幸福を与え続けて生きたい。
*****************************************************************
家族が死ぬって、どのような感じなのだろうか・・・想像はできるが、
それは甘い目測なのだろう。想像を絶する衝撃が、どの程度のものなのか・・・
わからないが、“絶する”わけだから、想像は不可能なのだろう。
友人が多いせいか、友人がよく逝去する。もう11人死んだ。
アッと言う間に煙になってしまう。自殺、心臓病、他殺、交通事故・・・
死んだ者には悪いが、やはり死ぬのは親不孝以外の何ものでもない。
私は、病気にならないよう、交通事故にあわないよう、
人に殺されないよう、頑張って生きている。
そういった事を常日頃から意識して生きている。
それでもいつ死ぬかわからないから、毎年、年末年始に遺言を書いている。
最後に「先に旅立つ親不孝を、お許しください・・・」と必ず書く。
他に、私が死んだら、どうしてほしいか・・・全て書いてある。
財産の所在、クレジットカードや銀行、株券の処理方法まで、
こと細かく書いている。書いてある事で安心して生きられる。
書かないと、残された家族が困る事を知っている。
*****************************************************************
死者を冒涜するな・・・・・・と言う人がいるが、そんな死=神様といった
思考は、本当に低い次元の話にしか聞こえない。死んだところで、
所詮は人間。何ら変わりはしない。
冒涜もしていい。けなしてもいい。逆に褒めてもいい。
褒めた方が良いとは思えない。「最高の人柄」なんて、それこそ冒涜である。
カレはカレらしく、精一杯生きたのだ。生きていた頃の彼らしいエピソード
こそ、カレの話にはうってつけなのだ。それは現世での彼の評価であるから。

死んだ人をけなすのはアカン・・・と思っている人は、
簡単に自殺をするような軽率な人間である。
人生の重さがわかっていない。
だから、人間の死を神聖化したがる。死は、大罪であるのに。
もちろん脳死や植物人間になったら早めに死にたいが、
それ以外なら這い蹲ってでも生きたい。みんなにも生きてほしい。
そう考えている私には武士道は向いていないだろう。
「武士道とは、死ぬ事と見つけたり」
*****************************************************************
死ぬって何だろう・・・世界を認識しているのは、この脳であって、
その脳の動きが止まってしまうと・・・人はどうなるのだろう。
果たして、私が死んでも、この世界は存在し続けるのだろうか?
疑問である。もしかしたら世界は、一人一人の空想に過ぎず、
もしかしたら、余裕のある人が自分の空想に誰かを
見せたり、入れたり、出したりしているだけなのかもしれない。

ここまで頑張ってきた俺の人生、夢オチはいやだなぁ(笑)

(圧縮) 俺の部屋2.jpg
ssが知っている俺の部屋。今は引っ越してしまいましたが・・・。
posted by taca at 11:46| Comment(18) | TrackBack(0) | 重い想い話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。